sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

シン・エヴァンゲリオン劇場版観てきたわけですけども

シン・エヴァンゲリオン劇場版を先日観てきたわけです。パンフ売り切れでしたんでネットで注文してそろそろ届く予定です。細かい内容のおさらいはこのパンフと、恐らく半年後くらいに発売されるBDかな。BDは多分序破Qも最終ディレクターズカット版みたいな感じでリファインされてBOXで発売されると読んでますので、それを狙うのも一つの手かなとは思います。

いわゆる「新劇」については『破』あたりから一応劇場で観てるし、もちろんその前の旧劇やTV版もほぼリアルタイムで追ってきた側のおっさんである自分な訳ですが、ああ、ようやく終わったし、こりゃ続編が作られることはもうないだろうなあという感想を素直に持ちました。最初のTV版から起算するとほぼ四半世紀ですよ。実質的に続編とか存在しない状態でよくまあこんな長いこと一つのコンテンツが続いたなあと思います。旧劇と新劇との間にはコミック版の完結とかもありましたんで、一応話題自体は途切れなかったわけですが、例えば続編がガシガシ作られて作品世界が拡大していった機動戦士ガンダム宇宙戦艦ヤマトなんかと比べると全然違いますね。

で、この四半世紀を振り返りつつ旧劇の人類補完計画発動場面で流れていた「Komm, süsser Tod 」をヘロヘロと聴いているんですが、やっぱいい曲ですね、この曲。イントロ部分がプロコル・ハルムの「青い影」、コード進行はパッヘルベルのカノン(いわゆるカノンコード)を中心にして組んであり、後半はビートルズの「ヘイ・ジュード」を混ぜ込むというコラージュが高い水準で行なわれているという点で鷺巣詩郎ってやっぱ天才だよと感嘆する次第です。

で、思い出すのは、旧劇含めた旧作は主人公の猛烈な自己肯定感の低さと、そのようなゆがみを生むなら他者なんか要らねえから人類滅べ、という社会に対する猛烈な呪詛が作品の後半に到るとガンガン加速していったという思い出です。実際日本の若者の自己肯定感は他国と比較しても非常に低い水準にあることは各種調査からも明らかなのですが(例えばhttps://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26gaiyou/tokushu.htmlを参照のこと)、これは他者を肯定し受容することが希薄だという日本の文化的・社会的構造に由来すると言われており、旧作はこれに加えてバブルは崩壊するしオウム真理教はテロをやるし山一証券は倒産するし阪神淡路大震災は起こるしというどこにも明るい材料がないという当時の状況を背景に作られた訳です。そういうコンテキストと呼応する形で、他者と世界の破棄を願う意識というのはこの作品を受容した人々にとっては実際リアリティのあるものだったし、それこそシンクロするものだったと考えられるのです。そういう意味で旧作は特に「ロスジェネ」と言われる人々が尊厳を要求する絶叫にも似た話だったし、世界が滅ぶ場面で流れる「Komm, süsser Tod 」は変ロ長調で書かれているにもかかわらず歌詞の内容は「自分もダメ人間だし、みんな死んで世界なんか滅べ」というドス黒いものであり、これは社会の表層的事象が「明るく楽しい社会に向かおうぜ」というポジティブシンキングなメッセージを思考ゼロで繰り返しているのにその実社会が個人にもたらす絶望的状況は何も解決しないというその当時の現実と見事に呼応していたわけです。1994年にリリースされた電気グルーヴのヒット曲「N.O.」でも「話す言葉はとってもポジティブ 思う脳ミソ ホントはネガティブ」とか罵る歌詞が出てきますが、旧作に呼応した人たちは程度の差こそあれど大体そんな意識を持ってたと言えるのではないでしょうか。

ところが時代は過ぎ、右を向いても左を向いてもネットワークとかコミュニケーションとかそんな感じの言葉が壊れた水道管のように流れてますし、SNSを覗けば「私ってステキでしょ」的日常充実ぶりを自慢するセルフコンテンツが横溢する現状が展開されているのが2000年代も結構すぎた段階での実情です。他者との関わりによって自己肯定感を醸成するような社会的環境は未だこの中世ジャップランドでは希薄なわけですが、その代替手段としてSNSなどでは全ての具体的コンテキストを無視して自己肯定のポストを垂れ流すことで、目も耳もふさいで自己肯定のぬるま湯に浸かることが可能です。脳味噌に一発キメているみたいに自己肯定のコンテンツをまき散らして、「イイネ」を沢山もらえば形式的であるにせよ自己愛の欲求は充足させることができるぜバンザーイということが、比較的手軽な方法として提供されてるのです。おまけにSNSは嫌いな奴に関してはブロックすることができますから、自己愛の充足にとって邪魔になるやつは視野から追放できるし、結果として認識的には抹殺することができます。これって他者の抹殺を願っていた旧作の主人公からすれば実に羨ましいことで、他者を抹殺しつつ自己肯定のお城を築くことがとりあえず可能なのが今日の状況だったりするのです。

多分、新劇、特に最終作はそういう現状に嘔吐を感じつつシナリオをある程度当初のプロットからは変更させつつ作成されたのではないかと私は感じました。即ち、自分を愛するとかそんな話は自己への執着があるが故に生じたある種の虚妄なんだから、そんなものを捨てるためにも、まあゆるく社会の色んな人とつながった方がいいんじゃないの?というのがこの作品が最後にたどり着いた視点だったのではないかなあとも言えるのです。だから主人公が最後にいた場所は外部への接続の象徴である海であったり、(日本では)都市のゲートウェイでもある駅だったのかなと。そして、年を取ることがないという「エヴァの呪い」とは、こういう自己の問題に拘泥する余り外の世界に対しての眼差しを閉ざし、精神的に成熟することのない我々の状況を半分くらい揶揄するような形で形象化したものなのだろうとも考えるのです。

それなりに年を食った私のような人間にとっては、このような帰結となった新劇の最後はは実際腹オチする結末ではあったりします。自己というのは獲得されるものであると同時に、破棄されるべきものだからです。でもそれが分かるには色々と苦労や悲しみや絶望の山脈を越えてくる必要があるわけで、やはり自己肯定感の低さに呻吟しているであろうこの時代の若い人たちには、旧作のような問題提起のアプローチは、似たような問題を抱えて社会への呪詛を抱く人は数多いということを知らしめるという意味において、ある種の救いになるのではないかなあとも今でも少し思います。

というわけで、エヴァが完結した今だからこそ、「Komm, süsser Tod 」を聴きながら、人類なんか滅んじまえこの畜生!と絶叫するのも、たまにはいいんじゃないかなと、厨二病をこじらせた中年で独身のおっさんである私は思ったりしました。

教養が持つもの

社畜生活を送るようになって長い時間が過ぎた。気がつけば自分のこのくだらない人生ももう後半戦に入りつつある。消費生活にうつつを抜かすのではなく、老後に向けてチマチマと蓄えをしなければ悲惨な日常を送るかさもなくばソイレント・グリーンのように田園を聴きながら安楽死を選ぶかのどちらかになるだろう。

社畜生活を送るということは、時間を切り売りして自分の自由を捨てるということを意味する。有難いことに生きるのに困るほどのワーキングプアには陥っていないが、それでも一日の終わりには疲れ果てて本も読まず寝てしまうことが殆どだ。元々その傾向があった抑鬱的なものが悪化して、ルーチンをこなした後には何もエネルギーが残らないというのが正直なところなのだが。

もちろんそれは言い訳なのだが、それにしても本を読んだりする時間が取れなくなっている。読んでも最近は老眼のせいでそれほど量をこなせなくなっている。本を買う金は一応あるのに、このザマだ。学生の頃は金はなかったが時間だけはそれなりにあった。

そのせいか、文章などの形でアウトプットするものが質・量共に低下している。学生の頃は5000字程度の文章は2-3日程度でかっちり書けたものだが、最近では仕事でもない限りそういうまとまった量の文章を書くだけの精神的余力がない。

恐らく、これは本を読まなくなっていことに起因する教養のエネルギー的低下によるところも大きいのだろうと思う。平たく言えばどんどん自分は愚かになっているということだ。

時の流れに身を任せ、より愚かになっていくことももちろん可能だし、そうなったところで誰かに迷惑をかけるものではないだろう。だが、文章をこうしてしたためること自体が自分自身にとってある種の救いであり、心を鎮めるために不可欠の営みの1つであることを考えると、もう少し自らに教養をたたき込むだけの努力をしないといけないのだろうとは思う。

人生は、余りにも短い。

浜辺に残ったわずかな足跡とその記憶

www.room493.com

篠原美也子のこのテキストでは、2つのテキストについて言及されている。「言葉の力を取り戻せ」と「敗者であることは勝者であることより難しく」の2つである。

恐らくこの記事を読んでいる人は気づくと思うが、この2つのテキストの筆者は私である。いずれも20年くらい前に書いたものである。それからどれほどの月日が質的にも量的にも経ったのかを思い返すだけで頭を抱えたくなる。

そんな私ももう50を目前にした中年のしがないおっさんに成り果て、つまらない仕事で口に糊する日々を続けている。若い頃に夢見た自分にはついぞなれなかったし、今の自分の希望を満たす日々にももちろん到っていない。早い話がそこら辺にいる敗残兵&人生を惰性で生きるだけのつまらない存在に過ぎない。

でも、こうして40%くらいは若さ故の暴走で書いたようなテキスト(それを書き、公開したこと自体は後悔していないけどね)が、篠原美也子本人に厳しく届き、今でもその立ち位置を見つめ返すときの1つの躓きの石となっているとしたら、これほど嬉しいことはないと思うのだ。

私の人生は恐らく砂浜に残った足跡のように、多くの人には顧みられることもなくいずれは消えてゆく。だが、それでも、たった一人であっても、私の言葉が人の心に届いたのであれば、この束の間の人生も一応の意味はあったのかなと安堵するのである。

ずいぶんと間が開いてしまいました

日々に流されていたら、ずいぶんと間が開いてしまいました。

勿論各種SNSではそれなりの生存報告を日々しているのですが、ブログという形でまとまった量の文章を書くのはたんとご無沙汰していました。いけませんね。

ちなみに前回の更新からは取り立てて大きな出来事もなく、相も変わらずさして楽しいわけでもない日々が重く流れているだけなのですが、とりあえず自分が壊れない程度に生きていられるというのは、素直に皆さんのおかげだなあと思える程度には心が少しずつ回復しているようです。この辺のことはまた回を改めて書くことにしましょう。

情報を価値にするのは、まだまだ人間の領域です。

www.asahi.com

SNSでは書きましたが、先週、報道機関向けに説明会をやりました。それと同日、@Pressなどを使ってプレスリリースを配信しました。
ここまではよくある話ですが、実はプレスリリースに書いた情報は、報道機関向け説明会に来て初めて補完されるように仕立てました。つまり、報道機関向け説明会に実際に来た記者が書いた記事と、プレスリリースだけを元にして書いた記事では質的にはっきりとした差が現れるような仕掛けを仕込んでおいたのです。
案の定ですが、その差は明確に現れました。プレスリリース丸写しが大半のWebニュースサイトでは非常に中途半端な内容になった一方、きちんと記者が来たケースでは紙メディア・Webメディアを問わずちゃんと内容の全体を捉えた記事になっていました。
質を高めるためのあり方には、こういう日頃の行動にもヒントがあるはずです。こういう時代だからこそ、きちんと人を使って情報を足で稼ぐ。記事をちゃんとチェックするために校閲査読部門を置く。そうした当たり前のことができていないWebメディアは、残念ながら最終的には嘲笑の対象になるでしょう。

大手町フィナンシャルシティでの出来事

大手町駅構内で大手町フィナンシャルシティ内ビジネスライブラリーの会員証を拾得。電話したところ持って来いとのことだったので5分ほど歩いて届けた。でもお礼とかはナシ。無論お礼欲しさで届けるわけではないけど、もっと臨機応変な対応があるんではないかと思った。

以前空港の待合ロビーでスマホ拾ってゲートが閉じたばかりの飛行機の搭乗口にに届けたら、カウンターの人が即席で(気圧変化対応用の)飴玉を見繕ってこさえた袋詰め+「ありがとうございます、良い旅を」との手書きのメッセージカードをくれたことがあった。作業時間は2分くらいだろうし、コストも全然かかっていないけれども、こういうのをもらうと人助けをして良かったなと思えるものだ。私のような凡俗の徒はそういう現金な経験でもなければ自ら人格の陶冶などしないものだ。

そして思うのだが、こういうことが咄嗟にできるかどうかというのは、個別のマニュアルの整備とかではなく、自らの組織がどこを向いて仕事をしてるのかについてを意識化してその外部へとまなざしを向けられるか否かという、すぐれて当たり前の人間的なあり方に伴うものなのではないだろうか。そういう意味においても、自らも会社の人間である以前に、一人の人間であることを意識しないとなあと反省を新たにしたのでした。

PC新調しました

ご無沙汰いたしております。

実は昨年の12月、PCを新調しました。で、それから旧PCからの移設とか色々と環境順応を行ってのメモリ増設とかやった結果、今のスペックは以下の通りです。

OS:Windows 10 Home 64ビット 正規版
CPU:Core i9-9900K
CPUクーラー:水冷CPUクーラー Corsair H110i
マザーボードASUS TUF Z390-PLUS GAMING
ケース:Fractal Design Define R6 Black
メモリ:Crucial DDR4-2666 16GB (8GBx2枚) +Crucial DDR-2666 Vengeance pro 白(16GBx2枚) 合計48GB
HDD:HDD 1TB(1000GB) SATA3 6Gbps
SSDSSD Samsung 970 EVO 500GB (m.2)
光学式ドライブ:DVDスーパーマルチ GH24NSD1 BL ブラック
グラフィック(カード):Geforce RTX2070 8GB
電源ユニット:KRPW-PT800W/92+ REV2.0 800W

【前のマシンから移植】
HDD:2TBx3 + 4TBx1 SATA3 6Gbps
SSD: Crucial M4-CT256M4SSD2

【追加】
S/PDIF Audio Optical and RCA Out Back Plate Cable Bracket(オーディオ用光端子ブラケット)
N.ORANIE PCIe 2.0 x 1 to SATA III 4ポート アダプタカード

というわけでなんだかんだで重量級のハイエンドですが、おおむね良好に動作しています。Cities: Skylinesやってるとメモリを20GBくらい消費してますので、今のスペックで結構快適です。

あと、前のIvy Bridge環境に比べると4K動画のエンコードが速くなりました。以前は30分の4K動画のエンコードに2時間くらいかかってましたが、今はCUDAをちゃんと使うと20分、遅くても40分くらいで終わります。これは大きいです。

その他のことは追々書いていきたいと思います。

Ace Combat 7を予約して買ったのだけど。

ace7.acecombat.jp

Ace Combat 7 Skies Unknownを予約して買って発売日から早速プレイし、昨日難易度easyでキャンペーンモードをようやくクリアした。

いやー、難易度高いです。これまでのナンバリングタイトルでは04、5、Zeroと一通りやってきて難易度aceでもSランク制覇してきた私ですが、今回はeasyでも苦労しっぱなし。何周かして高性能機体にパワーアップアイテムを着けまくらないとまともに遊べないように思います。洋ゲーのきっつい難易度に慣れた人じゃないとこれは耐えられないと思うよ……

で、片渕須直氏が手がけたシナリオですが、正直消化不良の感が否めません。超重要人物が物語序盤で割とあっさり死んでしまったり、僚機のキャラクター造形が薄っぺらでなおかつゲーム内では全く役立たずなため一緒に作戦行動をしているという感覚が希薄だったり。本作のコアとなるテーマがAIによるUAVの台頭に人間がどう立ち向かうかという話なので、敵方の主要登場人物も存在感が希薄です。04からZeroでは味方や敵方に出てくる味のあるおっさんたちが物語の骨格をがっちり固めてくれていたおかげで主人公の成長が分かる仕掛けになっていたのに、本作ではそれもありません。敵のメインキャラに凄腕パイロットの爺さんがいるんですが、これもUAVを前面に押し出すためかイマイチ活躍の場が与えられていないし。「人間vsAIのUAV」というシナリオを描きたいのであれば、この爺さんと主人公が最終面で共闘するとかの展開があれば燃えるんですが、そんなのもない。エースコンバット名物の超兵器も一つだけで、ゲームならではのトンデモ世界を飛んでいる楽しみと爽快感が足りません。

その他、今回から強化された気候要素も難易度を上げているだけで、ゲームとしての駆け引きの増加にはつながっていません。ガチのフライトシムならそういう要素も例えば着陸時に頭を使う楽しみが増えるのでいいんですが、フライトシューティングであるはずの本作では圧倒的多数として沸いて出てくる敵方の戦力をやっつけていく上での邪魔でしかありません。例えば5のステージ「8492」みたいに敵に追っかけられまくるステージなら例えば雲に隠れてロックオンを外すとかの駆け引きもあるんですが、本作では最終盤になるまでずーーーーーーーーーーっと地上の敵をプチプチ潰すだけの作業に追われる(しかもUAVに追尾されてミサイルをバカスカ撃たれまくる)というストレスフルな展開。こんなの何が面白いんですか? 攻撃ヘリのガンナーとか戦略爆撃機の爆撃手とかいろいろなポジションが楽しめる「アサルト・ホライズン」の方がまだバラエティの豊かさという観点からも楽しいです。

で、その他にも問題がまだあって、日本語版音声では「大公国」を「だいこうこく」と誤読してるのがそのままになってたり、フランス系の名前がつけられてるエルジア王国の名前の綴りに音韻上の間違いがあったり(コゼット王女はフランス語の綴りに依拠するなら、レ・ミゼラブルからも分かるとおり「Cosette」だし、名字に当たる部分も"D'Elise"(最初のEにはaccent aiguがつく)なら「デリーズ」 と表記すべきだし、そもそも国名のエルジアを名字に冠するならD'Eruseとかにしないとおかしいし、なんかそういう基本的な部分でのプルーフがいい加減なのもかなり目につく。1年くらい発売延期したのに、こういう基本的なところに間違い(といっていいだろう)が散見されるのもガッカリ要素だった。

ま、エースコンバットのナンバリングタイトルとして期待値を上げに上げていた自分が悪いんで、今後はVRモードとかをふらふら遊んだりしようかなと思います。キャンペーンモードは適当に気まぐれでやるレベルかなあ。

2016年フランス旅行(10): アミアンでウロウロする

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街中を適当にフラフラと歩きながらノートルダム大聖堂を目指す。市の中心部はそれほど大きくはないので別に急ぐ必要はない。私の歩く速度は大分遅いのだが、それでも10分も歩けばノートルダム大聖堂の辺りまでたどり着く。

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一番簡単なルートをたどっていくと聖堂の向かって右手の路地からこの広場に出る。さすがにでかいですね。

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ちなみにほぼ正面から見るとこんな感じです。パリのノートルダム同様フランボワイヤン様式の聖堂ですが、パリのそれよりは少しだけ完成したのが後らしく、そのあたりの違いもあるらしい。でも個々の彫刻は望遠鏡持ってこないと分からんよなあ。

で、聖堂に着いたときはちょうど昼のミサをやっておりました。私はキリスト者ではなくて一介の無神論者に過ぎないので、ミサの時に中に入って写真をバシバシ撮るのはさすがに遠慮している。というわけで昼のミサが終わるまで近所で昼食をとるべくレストランを探す。といっても駅前以外には余り店がなく、観光名所であるサン・ルー地区を除いては多くの場所が閑散としている。まあ仕方がないなあと言うことで聖堂のすぐそばにあったビストロに入り、「今日のランチ」と掲出されていた鶏のクスクスを食す。14ユーロ(食後のコーヒーは別)。なんか今回の旅行、クスクスばっか食ってるなあ……。

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ランチとはいえ、スープが冷えたら一応温かいのを補充してくれます。この手の観光地のメシ屋というのは往々にして酷くまずいことがフランスでも少なくないのだが、ここのお店はそれほど悪くなかった。ちみなに他にもビーフステーキなどを出しており、たぶん米国から来たとおぼしき一行はそれを注文していた。

腹ごしらえを終えたところで聖堂内部へと出発。

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彫刻類の詳しい説明については色々なガイドブックとかwikipediaフランス語版にあるのでそちらを参照していただくとして、とにかくデカい。床面積はパリのノートルダム大聖堂の2倍くらいあるらしい。また、聖堂完成後17世紀辺りまでかけて装飾された彫刻類も見事。ちなみに洗礼者ヨハネの首(と伝えられる)聖遺物などが見られる宝物殿はこの日はお休みで、見ることができなかった。残念。

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というわけで聖堂を一通り見学して、サン・ルー地区に移動。ちなみにサン・ルー地区から見るノートルダム大聖堂はこんな感じ。

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サン・ルー地区は川沿いにお洒落なカフェが立ち並ぶエリア。

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写真には写っていないが白鳥なども何羽かいて風景に彩りを添えている。それなりに結構テクテク歩いて疲れていたのと、せっかく観光に来たのでこの辺りでどっかのカフェにでも入ろうと思ったのだが、あろう事かほとんど満席。えー、ビールでも一杯引っかけて楽しい旅行気分インスタ映え(この旅行の頃はインスタはそんなにまだ流行ってませんでした)な写真と決め込もうと思ったのにケチーと思いつつ仕方がないので川縁の階段に腰掛けて川面を眺めて休憩。

あー、こういうとき一人旅というのは寂しいなあと思う。せめてグループ旅行であればとりあえず並ぶなりしてカフェに席を確保しておしゃべりとかして楽しいひとときを過ごせるんだろうけど、一人だとカフェでは休憩ついでにボーッとするのも限界があり、その他の休憩手段としては本を読むことなどがある程度。それも悪くはないのだが、寂しいときは寂しい。でも、それに耐えないと自由は得られないんだろうな。

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何はともあれ一息つけたので移動を開始。翌日は比較的早起きする必要があるため、パリへ戻るのも早めにしておかねばならないということで、駅へ向かう。

アミアンに着いたときには昼時というのにほとんど人がいなかったメインストリートも、この時間になると比較的人通りが増えてきて、一応の賑わいを取り戻している。

アミアンの駅に戻り、切符を調達。それによると次の電車は40分ほど後だったので、駅に付属のカフェにて時間を潰す。

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カフェつーてもどうも雰囲気からして夜間に酒を提供するのがメインぽい店で、店内は常連ぽい人々が数名おしゃべりをしているだけ。店の外ではマリワナをふかしている連中が何人かいたので用心のため店内でペリエを飲んでだらけていたのだが、フランスの都市は大体国鉄の駅前が場末でアレなのは仕方ないとはいえ、列車を待つときに気が抜けないのは疲れるよねえ……

一応列車は定刻通りに到着し、パリには6時過ぎに到着。昼にガッツリ食べたこともあり、北駅近くの小さいスーパーでビールと水とつまみ(ハム類)を買って部屋で食す。

翌日は荷物を抱えて(一応用心のためタクシーを頼んだ)移動で朝早くに起きなければならないため、荷造り。ビオの店でコキエットを3キロとか石鹸類をイヴロッシェで買いすぎたので荷物が既に重い……計画性のなさがすでに現れていて大いに反省する。

何とか荷物を取りまとめ、10時半に就寝。

2016年フランス旅行(9): アミアンに行く

【4日目】

パリ市内の汚い空気にもうんざりしたため、とりあえずどっか近くの街にでも観光に出かけるベと前日寝床で決定。

ここ10年くらいのパリ市内の空気の汚染は本当に酷いのだが、その最大の要因は自動車の排気ガスである。元々フランス人は自動車のメンテなんかせずにボロい自動車を使い続けることが多いのに加え、パリへの一極集中がこの20年くらいで一気に進んだこともあって、日中の主な通りはほとんど渋滞していると言ってもいい。しかもパリ市自体がセーヌ川の谷間の底にできているような都市であるため、排気ガスなどの汚い空気の出口は川沿いしかない。というわけで晴れた日はほぼ確実に光化学スモッグにやられる危険性を覚悟しておいた方がいいと思う。目薬とかは街歩きでは必須です。

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ということで9時頃ダラダラと歩いて北駅に移動。手許のガイドブックとにらめっこしつつ、時刻表を調べてどこに行こうかなと考える。そうすると40分くらいあとにアミアン行きの特急が出るとのことなので、それに乗ってアミアンのノートル大聖堂でも見に行くべと決定し、切符を購入。

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で、出発までの間時間を潰すことも兼ねて駅の写真を撮影。だが、北駅はユーロスターがイギリスに向けて発着することもあってテロ対策のせいなのか色々と警備がうるさい。「わーいタリスだー」とか言いながら写真をバチバチ撮っていたら警備員に怒られました。まあそもそも北駅は場所柄治安の余り良くない駅で、駅からタクシーに乗るときはちゃんとタクシー乗り場から乗らないとボッタクリに遭うかもよとあちこちに警告の貼り紙がしてあったりするような場所でもあるので、普通の人が夜間にここに来るのはやめておいた方がいいです、マジで。もしダイヤの都合で深夜の到着になっちゃったら走って近所のカフェにまず入ってそこで行動計画を立てるなどした方が安全です(そこでも置き引きには注意)。冗談じゃなくパリの治安は悪いんすよ……

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私もそういうわけで駅の近くのカフェで本を読んで時間を潰し、発車時刻が近づいたところで駅に移動。Corail Téoz(最近欧州の都市間特急の名称共通化に伴いIntercitéとかになったらしいが)に乗車し、ガラガラの車内にとりあえず一安心。

列車は定刻通り発車し、アミアンへ向けと走り出す。

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約一時間半後、アミアン駅に到着。列車を降りて最初に感じるのは、空気が綺麗だということに他ならない。深呼吸しても排ガスの臭いは全然しないし、何より空がきれいだ。

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駅前広場は最近の再開発によって建て直されたもの。駅の目の前にあるオーギュスト・ペレオーギュスト・ペレ - Wikipedia)の設計になる高層ビル(といっても15階建てくらい)と均衡が取れるようにモダニズムっぽいデザインになっている。そうは言ってもフランスのそこそこの都市の例に違わず駅前は場末感漂いまくりなのだけれど。

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で、これがペレの塔です。中は現在でも集合住宅として使われているとかで、市の観光局主催のガイドツアーとかでないとみることはできません。

ちょうど昼時だったので、どっかで腹ごしらえでもしてから観光すべしということでまずは街の目抜き通りをフラフラと歩きつつ、観光に出発。いやー、空気が清浄なのはいいことだ!