sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

教養が持つもの

社畜生活を送るようになって長い時間が過ぎた。気がつけば自分のこのくだらない人生ももう後半戦に入りつつある。消費生活にうつつを抜かすのではなく、老後に向けてチマチマと蓄えをしなければ悲惨な日常を送るかさもなくばソイレント・グリーンのように田園を聴きながら安楽死を選ぶかのどちらかになるだろう。

社畜生活を送るということは、時間を切り売りして自分の自由を捨てるということを意味する。有難いことに生きるのに困るほどのワーキングプアには陥っていないが、それでも一日の終わりには疲れ果てて本も読まず寝てしまうことが殆どだ。元々その傾向があった抑鬱的なものが悪化して、ルーチンをこなした後には何もエネルギーが残らないというのが正直なところなのだが。

もちろんそれは言い訳なのだが、それにしても本を読んだりする時間が取れなくなっている。読んでも最近は老眼のせいでそれほど量をこなせなくなっている。本を買う金は一応あるのに、このザマだ。学生の頃は金はなかったが時間だけはそれなりにあった。

そのせいか、文章などの形でアウトプットするものが質・量共に低下している。学生の頃は5000字程度の文章は2-3日程度でかっちり書けたものだが、最近では仕事でもない限りそういうまとまった量の文章を書くだけの精神的余力がない。

恐らく、これは本を読まなくなっていことに起因する教養のエネルギー的低下によるところも大きいのだろうと思う。平たく言えばどんどん自分は愚かになっているということだ。

時の流れに身を任せ、より愚かになっていくことももちろん可能だし、そうなったところで誰かに迷惑をかけるものではないだろう。だが、文章をこうしてしたためること自体が自分自身にとってある種の救いであり、心を鎮めるために不可欠の営みの1つであることを考えると、もう少し自らに教養をたたき込むだけの努力をしないといけないのだろうとは思う。

人生は、余りにも短い。