sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

別れの作法

先日、会社に赴き、退職手続き一切を済ませ、完全に退職と相成った。まあ色々と面倒くさい手続きもあったが、所要時間としては1時間程度で、割とあっさり終わったと言えるだろう。そして近日中に新しい会社での勤務が始まる予定である。つい最近まであった、会社のWebサイトに掲出されていた私のプロフィルがあっさりと削除されているのを見ると、『1984年』における情報の管理と統制もこんな風にして行なわれるんだろうなあと想像せずにはいられない。

というわけでこれまでのプロセスとしては5月上旬に退職を宣言、引き継ぎを済ませてから6月に入ってからはずっと有休消化だったのだが、有給消化中も会社の連中からは業務の不明点などについて質問メールがバンバン来ており、その対応のために旅先でもそれなりに時間を取られた。挙げ句の果てには一旦受理されている休暇中であるにもかかわらず、上司からの要求でテレカンを1時間やらされるということまであった。これって労働法関連から見てかなりアレだと思うんですが、どうなの? そもそもこれは業務の標準化と担当の冗長化ができていないということ、そして引き継ぎのプロセスがまともにマネージできていないという意味で、マネジメントレイヤーの連中は自分たちが無能だと言っているのに等しいわけだが、そういうことについてはまあ馬耳東風を全力で決め込んでいるらしい。

まあそういうこともあり余りリフレッシュ感はないのだが、在宅勤務が続いているとは言え、勤務最終日にはさすがに上司や同僚からねぎらいの言葉の一つくらいはメールでもあるんじゃないかとは期待せず考えていた。それが去り行く者に対するある種の礼儀ではないかと私は考えるし、実際そうすることでその勤務先に対する悪評の流布を抑止することができるというメリットもあるからだ。メール一本なんだから、書いて送信するのには5分もかかるまい。だが、実際にはそれもなしのつぶてであった。つまるところ、彼らの人間性は、マネジメント能力同様、まあお察し下さいということなのだろう。

その他、こちらからの質問は全く答えないくせに情報ばかりねだるクズな同僚からは、勤務最終日に色々と雑用で忙しい中、「お疲れ様でした」もなく非常につまらない質問への回答をチャットで要求されたあげく、私の次の勤務先について前期ハイデガーの「好奇心」の概念よろしく、あれこれと詮索されたりした。そんな奴には絶対教えないよという人倫の基本が理解できていないのだとしたら、この同僚の人間的水準も推して知るべしだろう。魂のないテクノクラートの思い上がりの問題は、まさにマックス・ヴェーバーの指摘するとおりでもある。

そんな予想していた失望の中、私はある出来事を思い出す。数年前、非常に機転の利く、優秀な事務方の女性が半ばパワハラで急に退職を余儀なくされたとき、私は隠密に(パワハラした奴が社長のお気に入りだったので)同僚達から任意で寄付を募り、彼女の退職の餞を購入して賛同者全員の連名で贈ったことがあった。彼女はそれが非公然のことであったことに驚き、かつ感謝してくれた。おかげで彼女と私は今でもメールレベルで年に一度程度のやりとりがある。弔いの席で醜い争いが起きてしまい、以降そのトラブルを起こした人は周囲から疎遠にされてしまうというのはよくある話だが、退職のような別れに際しての人としてのあり方も、思わぬところでその人の倫理的な水準を露呈してしまうようだ。

もちろん、彼らの無礼に対して直接報復するは実はある程度可能ではあるのだが、それを行なうことは自らも同じ水準に身を落とすことになることは明らかだろう。従って、私はここにこのような人々がいて、そのような態度が人間の関係において蟠りを残すものであることだけを記述してきたいと思う。

「もっともよい復讐の方法は、自分まで同じような行為をしないことだ」(マルクス・アウレーリウス『自省録』)