sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

バカにつける薬はないな

www.asahi.com

返すあてのない国債を濫発してプライマリーバランスを崩壊させたのはあんたがた自民党でしょうが。このおばさんは脳味噌に綿でも詰まってるのか?

そもそもこの極右ババア、戦争は人間の霊的進化に必要だとかエンリケ・マルチノ・ボルジェス・デ・アランテス・エ・オリベイラも仰天するような知能ゼロの発言をかましてたことは夙に有名だが、「積極的平和主義」とやらを実践するためには、この種の害虫を駆除することから始めないといかんのではないかい?

音楽はいいね、リ(以下略

f:id:sadaijin_nanigashi:20160615231414j:plain

6/12、ル・スコアール管弦楽団第40回演奏会に出演してきました。曲目はオリヴィエ・メシアンの「トゥランガリーラ交響曲」一曲のみというガチンコプログラム。アマオケでやることそのものが無謀との誹りを逃れえない難曲大曲阿鼻叫喚の大傑作ですが、メンバーの皆さんの意地と誇りを賭けた熱量の高い演奏もあり、演奏会自体は極めて上首尾だったと言っていいと思います。そんなわけで、完全な燃え尽き状態に今もまだあり、ああ、こうして時間て過ぎていくのだなーとか思いつつ、完全な抜け殻状態を引きずったまま、バキバキに痛む節々をマッサージしつつダラダラと日常への軟着陸を試みております。

私の好きな漫画のひとつに、『ぼくらの』という作品があります。この作品の登場人物は「ジアース」というロボットに乗って戦うんですが、ジアースは搭乗者の生命を動力源としているため、戦闘が終わると問答無用で搭乗者は死にます。これは敵のロボットも同じです。
で、この搭乗者たる登場人物のひとりに、古茂田さんというピアノを愛するお嬢さんが出てきます。紆余曲折あって、古茂田さんは最後敵の搭乗者も来場した演奏会場でピアノを弾いて、死を従容として甘受するのですね。敵の搭乗者も同様に死を受け容れる。
小生としては、このピアノを弾いている時の描写がたまらなく好きなのです。好きというか、心に響くのです。
緊張の余り運指が思うに任せない中、古茂田さんはピアノを弾きつつ独白します。ピアノは何を自分に語りかけているのか、つまりピアノは自分につながっていて、それはとりもなおさず自分が世界につながっていて、世界に包まれているのだと。そして、旋律が汚れない以上、この世界は無前提で美しく愛おしいのだということに気づきます。かくして、この上ない法悦に包まれて、彼女は命を失います。

楽章間の小休止も含めれば90分を超えるトゥランガリーラ交響曲の最終楽章にたどり着いて、混沌の中に多幸感がきらめく嬰ヘ長調の旋律を懸命に齧り付くように弾いていると、全ての生命の祝福と全宇宙への昇華のイメージが幻視のように全身を痺れさせます。眩しい星々の光芒のようなピアニズムと形而上的な甘美さそのもののようなオンド・マルトノの響き、そして歓喜の彼方を呼び覚ますパーカッション群の変拍子、世の終わりと始まりを告げる金管木管の大音量、それらが渾然一体となった瞬間があの場には確実に降臨したのだと私は実感します。そしてその場に与ることができているというこの上ない実存の超越的充足。78ページ(!)あるパート譜の最後のページにたどり着いた時、永遠の現在が終わってしまうのかと戦きつつも形而上的な歓喜に満たされたあの終止和音を全力でかき鳴らしつつ、メシアンという作曲家の計り知れないほどの天才を感じられることの喜びと音楽を通じてこの世界に生を保つことのできるありがたさを実感したのでした。そして最後の全ての生命よ祝福されよと歌いあげる和音が鳴り止んだ直後に訪れる放心状態と万雷の拍手そしてブラボーの声。贔屓目に見ても私の人生は明るいものではありませんが、こういう瞬間が間歇的にであれ訪れるというのは、このつかの間の生に根源を求める上でもよすがとなり得るものだと私は思います。


演奏技術的に見ればボロボロの点が少なくない小生でしたが、素晴らしい皆さんと一緒に演奏できたことはいくら感謝してもしきれるものではありません。誘って頂いたKさんはじめ多くの方に感謝を申し上げ、またこのような機会が人生において訪れることを願ってやみません。

ジャカルタに行ってました

f:id:sadaijin_nanigashi:20160522004614j:plain

先週一週間、仕事でインドネシアジャカルタに行ってました。ゴールデンウィーク前には台湾に出張だったので、ここ一月で結構な海外出張ラッシュに見舞われたという事になります。周りの人は「会社の金で海外行けていいなー」とか言いますが、(自分の主使用アライアンスを使った場合)マイレージが貯まることと、現地の人が残業なんかしないため比較的早い時間に仕事が終わる以外は、外国語で朝から晩までコミュニケーションしないといけないし、日本人的なヌルい駆け引きではなくて即決即断が求められる場面が多いので、著しく疲れるのですね。ウチの会社はケチだからえらい人以外はビジネスクラス使えないし。

f:id:sadaijin_nanigashi:20160522005535j:plain

で、ご存じの方は多いと思いますが、ジャカルタ市内は公共交通機関が壊滅的にダメなので、バス以外の細々とした移動はタクシーかOjek(オジェッ)というバイクタクシーや乗り合いタクシー(アンコラとか色々名前がある)に頼らざるを得ないのですが、タクシー以外はインドネシア語を知らないと利用するのには体を張ったボディランゲージが求められます。若い人は片言だけど英語が通じるのはいいんだけど……

f:id:sadaijin_nanigashi:20160522010924j:plain

んで、一応ジャカルタでは地下鉄は建設進行中なんですが、例によって官吏が汚職まみれのこの国では三角州故の脆弱な地盤もあって遅々として進捗は停滞し、モノレール計画は推進してた大臣が汚職でクビになって以来事実上凍結などもうムチャクチャです。

そんななんで空き時間にちょっと物見遊山をしようとしても一日中渋滞で数キロ離れたところに移動するのに2時間とか平気で掛かるので時間が全く読めないし、そもそも博物館も貧弱なので文化都市という価値は少なくともジャカルタにはありません。せいぜいできることといったら巨大ショッピングモールでダラダラと時間を潰して、レッツボディランゲージで屋台飯を食うことくらいでしょうか。ただし屋台飯は衛生環境が激悪なので、過熱調理したもの以外は絶対食ってはいけませんし、皿自体が細菌まみれなので速攻で完食しないと確実にヒットします。

その他、Wi-Fiは超高級ホテル以外では接続速度が50kb/sec出れば上出来とかネット環境が絶望的にひどいというボロボロさもあるし、スカルノ・ハッタ国際空港は事実上飽和状態になってて沖止めでもないのに飛行機までバスで移動するとかもう面倒くさいからいっそのこと首都移転しちまえよと思わないのではないのですが、普通のそのあたりにいる人は結構親切で世話焼きなのがいいのですよ。ホテルのスタッフも顔を覚えるとほとんど友達みたいなフレンドリーさで色々と融通を利かせてくれますし、そのあたりの人情に篤いあたりはいいなあと思うのです。食い物も小生としてはそれなりにおいしいし。

f:id:sadaijin_nanigashi:20160522011745j:plain

(コタ・カサブランカ内のレストランのフィッシュ&チップス日本風。およそ950円)

ただ、猛烈な貧富の差はやはりきついです。比較的富裕層が来るショッピングモールでは、ご飯の値段が日本円で1000円超えるとかザラで、ジャカルタ都市圏の一般ホワイトカラー労働者の平均月収が8万円、ブルーカラーとか単純労働者だと3万円を下回ると考えると、購買力平価でコンバートすると上記のフィッシュ&チップスは日本人ブライスでは約4200円ということになります。日本国内の外食の価格設定はパートタイム労働者の犠牲に支えられていているため国際的に見てもムチャクチャ安価ではあるのですが、こんなものに4000円以上ポンと支払える人ってどれだけ金持ちよと思わずにはいられないです。しかもこのショッピングモールのレストラン、結構混んでるんすよ。で、下町の屋台ではサテー(インドネシア風焼き鳥)が一本15円くらい。5本食ってナシゴレンかミーゴレンつけてあっまいお茶(冷たい水は確実に当たるのでNG)飲んでも大体300円(購買力換算1200円程度)行きません。ナシゴレンだけなら150円くらいです。何だこの格差は。

今のインドネシアの大統領のジョコ・ウィドド氏は平民階層の出身なんでこのあたり何とかしてくれないか期待していますが、イスラム系の社会では見せかけの平等の裏に猛烈な経済格差を隠匿していることが多いのは他の国でもよくあることなので、初代大統領のスカルノみたいに社会主義的政策をある程度導入しないとダメなんじゃないかなあとも思うのですね。

RoyalMailのひどすぎるサービス水準

2月にamazon.fr(フランス)から書籍を取り寄せた。

急ぐものではなかったので送料は一番安いやつを選択した。そして、2/23に発送の連絡が来た。メールでは到着は3/9前後になるとのことだった。配送を担当するのはイギリスのRoyalmail。

ところが、3/9を過ぎても一向に届く気配がない。数日どころか一週間経っても全然届かないので郵便局に電話して調べてもらったが「全く分からない」とのこと。追跡番号がないからとのことだが、日本自体に着いていないのではという話だった(日本国内で宛先不正確などの理由で届かなかったものは一応DBで一定期間管理されるらしい)。

で、このRoyalmailについて調べてみたところ、遅着紛失は当たり前で、イギリス国内でも事故が頻繁に起こるから大事なものはDHLとかを使うのが当たり前だそうな(ほとんど英語だが、https://jp.trustpilot.com/review/www.royalmail.com でカスタマーレビューを読むことができる。ちなみに評価は10点満点中1.2点。つまりは最悪レベル)。確かに外国の郵便会社のサービス水準はお粗末きわまりないのは私も外国に住んでいた時の記憶で分からないではないが、それでも一応ただの手紙はそれなりにちゃんと届いたし、国際小包も多少の遅れがあるとしても届くのが普通だった。ところがこのRoyalmailはそれすらまともにできないというのだから、ヘタをすると品物紛失(つまりはどこかで誰かが掠め取る)で悪名高い中国の郵便よりもひどい。仕方ないので損害賠償請求をするかいねとRoyalmailのサイトを調べてみたら、あちこちとたらい回しリンクで混乱させられた挙げ句、「EU域外の物品については25営業日以内のクレームは一切受け付けない」とデカデカと書かれているではないか。つまりは5週間までの遅着はよくある話だガタガタ言うなというわけだ。この辺の尊大さはさすがの大英帝国様である。

というわけで4月になるまで待つか……と諦めていたのだが、驚くべきことに今日無事配達の運びとなった。2万円損しなくてよかったよ……と思う暇もなく包装に貼られていたシールはこれ。

f:id:sadaijin_nanigashi:20160319232658j:plain

いやー、確かに今日は雨降ってたけどさー、そんな丁寧に詫びなくていいですよ郵便局さん、と包装を見ると

f:id:sadaijin_nanigashi:20160319232715j:plain

!!

何でこうなったと思わずにはいられない包装のダメージである。明らかにかなり激しく水などをかぶった痕跡が見られる。上から見るとこんな感じ。

f:id:sadaijin_nanigashi:20160319232731j:plain

コンテナの隙間から雨漏りがあってそれが包装にかかったかなと考えられるのだけども、税関申告書に中身は本だと書いてあるにもかかわらずこの扱いはないだろう。

こりゃ配達時の物品破損のクレーム申し立てて交換してもらうのか、そうするとまたこの手の不毛なイライラを繰り返すのか……と思って包装をはがしたら、奇跡的にも中身の本にはほとんどダメージはなかった。背表紙に一部だけいわれれば分かるレベルの問題がある以外は、とりあえず難を逃れた格好だ。やれやれ。

正直、安物買いの何とやらというのを実感するほどのRoyalmailのサービス水準のひどさだった。次回Amazon.frから取り寄せを行う時にはちゃんとした配送業者を指定しようと思う。

それにしてもだ。Royalmailの評判の悪さにはちゃんと根拠があると分かったので、これをお読みの方も、Royalという尊大レベル極大な冠を乗せているくせにゴミみたいなサービス水準のRoyalmailは絶対に使わないことを、強く強くお勧めする次第です。

アルヴォ・ペルト『鏡の中の鏡』 (Spiegel im Spiegel)

f:id:sadaijin_nanigashi:20160314225012j:plain

先日購入したCDの1枚に、アルヴォ・ペルトの『鏡の中の鏡』が収録されているものがあった(Brilliant Classics盤)。

平均律クラヴィーア第一巻の最初の曲を思わせる単純で静謐なピアノのアルペジオの上に、これまた静かにヴァイオリンの単純で穏やかな旋律が流れてゆく。明るく、何もない、静かな部屋で時間の流れを自らの裡に感じているかのような、優しく、そして多くのものに別れを告げてゆくかのような余韻。

明かりを落とした部屋で聴きながら、色々なことを思い出す。いや、思うと言った方が適切だろう。それは、アドルノマーラー交響曲の響きの中に見出した、子供の頃の記憶のユートピア性とも通じ合うかのような、あのあらかじめ失われたものとしての幸福の記憶である。

私はなにかを眺めている。だが、それが何であるのかは思い出すことができない。けれども、それを眺めている私は欠けることのない満ち足りた、永遠に続くとすら思われる静寂の中に独りいる。

景色は少しずつ変わっているのだが、それが何であるのかは依然として分からない。しかし、私はそこに在ることで全てのものが美しく、時から逃れることによって得られるあの憂いのない浄福の中にまどろんでいる。

けれども、もうそこには戻ることはできない。いや、戻ることができないからこそ、それは記憶の淵源で揺曳し、美しいもの、宥和されたものの姿を朧ろに囁くのだと思う。さようなら、そして遠き時の終わりでまたいつか、と。

高市早苗のビックリするほどの文化に対する無知

www.asahi.com

さて、記事によると、

「テロリスト集団が発信する思想に賛同してしまって、テロへの参加を呼び掛ける番組を流し続けた場合には、放送法第4条の『公安及び善良な風俗を害しないこと』に抵触する可能性がある」

だそうだが、世の中でよく知られた各種文学作品には実質的なテロ集団の話を扱った物が少なくないのはよく知られているところであろう。新撰組だって今日的な観点からすれば明らかなテロリスト集団だし、グラズノフの有名な交響詩「ステンカ・ラージン」は大規模な反政府蜂起という点では間違いなくテロリストだし、中国三大奇書のひとつ『水滸伝』だってテロリスト集団が山にこもって抵抗を続けた話だ。ガノタには有名なデラーズ紛争(デラーズ・フリートが地球にコロニー落としをした話)だってやったことははっきり言ってテロな上、『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』ではデラーズフリート側に同情的なストーリーテリングがなされている。右翼の皆さんが大好きな三島由紀夫の最後の作品『豊穣の海』の第2部に出てくる飯沼勲は思想もやってることも厨二病こじらせ型のテロリストである。

更に言えば、赤穂浪士忠臣蔵)の話も法を無視して私怨の報復を行ったテロ行為である。そしてまさにそのゆえに江戸時代は赤穂事件は直接取り上げることが御法度だったわけで、だからこそ『仮名手本忠臣蔵』という翻案物が書かれ、大人気になったのだ。従って、高市の論法に従えば忠臣蔵はどっからどう見てもアウトで、法治国家の基本を為す罪刑法定主義を真っ向から否定する話である。だから、高市がこんなことを言うなら、まずは赤穂事件を直接扱った忠臣蔵そのものを放送禁止にすることを宣言することから始めるのがスジである。

だが、高市はそんなことには言及しないらしい。恐らくは自分に刃向かうものをすべてテロとレッテル貼りをし、その発言を全て封じ込めたいというのが彼女の足りない脳味噌に充溢した思想だろう。

無論、その愚昧をもたらしている不寛容を徹底的に否定するのは必要な事であるし、彼女が泥に塗れて自らの無能と知能の低さを実感するまでは叩き続ける必要があるのは言うまでもない。けれども、より深刻なのは、上に述べたような文化的パースペクティブを全く視野に入れられない程度の頭の悪い無教養な人間が国民の代表ヅラをして権勢を振るっていることではないのか。安倍も、麻生も、その他安倍の取り巻き連中に共通するこのような文化的素養の徹底的な欠如は、政治家の水準が国民の平均的水準以上には決してならない以上、我々自身が文化的素養のない人々にどう向き合うかという問題を提起せずにはおかないのだ。