sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

音楽はいいね、リ(以下略

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6/12、ル・スコアール管弦楽団第40回演奏会に出演してきました。曲目はオリヴィエ・メシアンの「トゥランガリーラ交響曲」一曲のみというガチンコプログラム。アマオケでやることそのものが無謀との誹りを逃れえない難曲大曲阿鼻叫喚の大傑作ですが、メンバーの皆さんの意地と誇りを賭けた熱量の高い演奏もあり、演奏会自体は極めて上首尾だったと言っていいと思います。そんなわけで、完全な燃え尽き状態に今もまだあり、ああ、こうして時間て過ぎていくのだなーとか思いつつ、完全な抜け殻状態を引きずったまま、バキバキに痛む節々をマッサージしつつダラダラと日常への軟着陸を試みております。

私の好きな漫画のひとつに、『ぼくらの』という作品があります。この作品の登場人物は「ジアース」というロボットに乗って戦うんですが、ジアースは搭乗者の生命を動力源としているため、戦闘が終わると問答無用で搭乗者は死にます。これは敵のロボットも同じです。
で、この搭乗者たる登場人物のひとりに、古茂田さんというピアノを愛するお嬢さんが出てきます。紆余曲折あって、古茂田さんは最後敵の搭乗者も来場した演奏会場でピアノを弾いて、死を従容として甘受するのですね。敵の搭乗者も同様に死を受け容れる。
小生としては、このピアノを弾いている時の描写がたまらなく好きなのです。好きというか、心に響くのです。
緊張の余り運指が思うに任せない中、古茂田さんはピアノを弾きつつ独白します。ピアノは何を自分に語りかけているのか、つまりピアノは自分につながっていて、それはとりもなおさず自分が世界につながっていて、世界に包まれているのだと。そして、旋律が汚れない以上、この世界は無前提で美しく愛おしいのだということに気づきます。かくして、この上ない法悦に包まれて、彼女は命を失います。

楽章間の小休止も含めれば90分を超えるトゥランガリーラ交響曲の最終楽章にたどり着いて、混沌の中に多幸感がきらめく嬰ヘ長調の旋律を懸命に齧り付くように弾いていると、全ての生命の祝福と全宇宙への昇華のイメージが幻視のように全身を痺れさせます。眩しい星々の光芒のようなピアニズムと形而上的な甘美さそのもののようなオンド・マルトノの響き、そして歓喜の彼方を呼び覚ますパーカッション群の変拍子、世の終わりと始まりを告げる金管木管の大音量、それらが渾然一体となった瞬間があの場には確実に降臨したのだと私は実感します。そしてその場に与ることができているというこの上ない実存の超越的充足。78ページ(!)あるパート譜の最後のページにたどり着いた時、永遠の現在が終わってしまうのかと戦きつつも形而上的な歓喜に満たされたあの終止和音を全力でかき鳴らしつつ、メシアンという作曲家の計り知れないほどの天才を感じられることの喜びと音楽を通じてこの世界に生を保つことのできるありがたさを実感したのでした。そして最後の全ての生命よ祝福されよと歌いあげる和音が鳴り止んだ直後に訪れる放心状態と万雷の拍手そしてブラボーの声。贔屓目に見ても私の人生は明るいものではありませんが、こういう瞬間が間歇的にであれ訪れるというのは、このつかの間の生に根源を求める上でもよすがとなり得るものだと私は思います。


演奏技術的に見ればボロボロの点が少なくない小生でしたが、素晴らしい皆さんと一緒に演奏できたことはいくら感謝してもしきれるものではありません。誘って頂いたKさんはじめ多くの方に感謝を申し上げ、またこのような機会が人生において訪れることを願ってやみません。