sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

2016年フランス旅行(6): ビュット・ショーモン公園

Canal bioでちょっと買い物をしたあとは、運河沿いのベンチで一休みする。静かに吹いてくる風が心地よい。

色々なことを思い出す。以前この界隈に住んでいた時、気晴らしに時々散歩に来たこと。運河の氾濫で浸水してすっかりダメになり閉鎖されてしまったEDF/GDFの営業所の担当者がこげぱんのボールペンを使うアニオタだったこと。運河沿いの広場で毎週水曜日と土曜日午前中に開かれているマルシェでは13時が近くなると食品の投げ売りが始まっており、特にデーツは猛烈な安値になっていたこと。随分昔のことばかりだが、場所に来れば思い出すものだ。

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ジャン・ジョレス通りを北上し、19区役所に到る。フランドル通り沿いのスーパー下町風情がウソのような綺麗なエリアである。そうは言っても以前は区役所からそう遠くないところに区営のコインシャワー場があった(今は改装されて公共体育館になっている)のだが、それなりに重厚な建物ばかりが建ち並ぶ風景は典型的なヨーロッパの街並みである。不動産屋の貼り出しを見ていると、結構な価格ばかりで驚く。

 

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そういえば、と思い出し、区役所のすぐそばにあるカフェ"Le Kaskad"に寄る。ここは普通の3倍はあろうかというシュークリームにバニラアイスを乗せてホットチョコソースをたっぷりとかけた「Choux "LK", glace vanille et sauce chocolat chaud」というデザートが名物なのだが、さすがにそんなカロリー祭りなものをぱくつく気力はなく、普通にテラスでレモンのディアボロを飲む。いくら慣れているとは言っても仏語でずっとコミュニケーションして周囲に注意を払いウロウロするというのはそれなりに疲れるんすよ……

カフェのお兄さんと少しおしゃべり。東アジア系の人間が少し南仏訛り(小生のフランス語は母音の崩れ方などに少々南仏の訛りがある)で話すのが珍しいのだろう。そして私が約15年前にフランドル通り沿いに住んでいたことを話すと、それじゃ懐かしいのも当たり前だよね、くつろいでいきなよと言う。お言葉に甘えて4ユーロそこそこのディアボロ一杯で1時間ほど本を読みながら休憩する。

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ビュット・ショーモン公園はパリ市内の公園としてはかなり大きい規模で、起伏の大きい地形を活かした緑豊かな公園である。人工の滝などもあり、週末には子供向けの人形劇場や綿菓子の屋台などが出ることもあり、19区民はもちろん近隣の区の人々にとっても憩いの場所となっている。平日は芝生の上で昼間っからビールとかワインとか飲んだくれてる連中も少なからずいるが、それはそれということだ。そして滝のある洞窟は微妙に臭かったりするのも、まあそういうことだし、仕方なかろう。

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この公園が起伏に富んでいることは先にも書いたが、その一つのハイライトは一番高いところにある見晴台である。見晴台からはサクレ・クール寺院からフランドル通り沿いの高層マンション群まで見渡せる、隠れた名所である。

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区役所前から公園に入る場合、見晴台に到る一番近いルートは吊り橋を渡る道なのだが、吊り橋の上からは池でくつろぐ鴨やアヒルの姿を眺めることができる。以前の旅行でこの公園に来た時は、池のほとりで鳥にえさをやるセルビア人と仲良くなり、彼がここに来た理由や普段の暮らしぶりについて色々とたわいない話をした。穏やかな風景は人を孤独の緊張から解き放し、他者と結びつけるものなのかもしれない。

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見晴台に上り、あたりを眺める。落書きだらけなのはあまり変わってはいないが、それでも一応クリーニングは行われたようだ。その他、落石などに備えての補修工事も行われている。

見晴台は人気スポットでもあるので、交代交代で一等席に陣取る。

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この通り、見晴台の左側からはサクレ・クール寺院が見える。モンマルトルの丘を眺めるならばギャルリー・ラファイエットの屋上カフェテリアが比較的有名なスポットだが、ここからの眺めもそれなりに捨てがたい。遠くに、そして周囲の街並みも含めてしっかりと眺められるこの場所は、パリ市内での私のお気に入りの場所の一つでもある。東京の超高層ビル群に疲れた目には、このような一応は人間的な高さに収まる建物が続く街並みはそれなりに一応心安らぐものだ(だからデファンス地区は私は好きではない)。

ベンチに腰掛けて、色々なことがあったこの2ヶ月ほどのことを思い出す。「ひとを罰しようという衝動の強い人間たちには、なべて信頼を置くな!」というのはあまりにも有名なニーチェの言葉だが、そういう人々に信頼を置かないのはもちろん当たり前だとしても、常に囲繞されて一日の長い時間を過ごすというのはそれだけで精神を蝕むものだ。これから自分がどういう人生を迷うことになるのかはよく分からないけれども、できることならばそのような人々からは距離を置くことのできるような環境に身を置きたい。たとえ待遇など諸々の面が満足のいくものでなかったとしても、働くことで心を病んでしまっては元も子もないからだ。

そして、15年間で、自分が随分遠いところへ来てしまったなあと思う。今も私は決して経済的に裕福ではないけれども、それでも常識的な価格の本であればある程度は自由に買える程度の所得は得ているし、獲得してきた知識や知見で人から質問を受けたり頼られたりすることも色々経験してきた。

それに比べれば、15年前の私は、迷走していた。他者とそのような関係を築くことも叶わず、貧しいまま日々本を読み論文の準備を進めるだけの日々だった。
それでも、それはそれなりに楽しかったと今では思う。それは記憶の美化でしかないのかもしれないが、好きな時に逍遙する自由があるというのは、今の私からすれば有給でも取らない限り無理な話だからだ。

そうこうしているうちに、大分風が冷たくなってきた。19区役所前からバスに乗り、ホテルまで戻る。買い物したものを整理した後、夕食は近所の中華料理屋で安い定食(といっても10ユーロ)。それなりにおいしい。

メールなどを処理し、11時頃就寝。