sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

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オーケストラ・ダスビダーニャ第24回演奏会に出ました

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先週3月12日、池袋の東京芸術劇場で行われたオーケストラ・ダスビダーニャ第24回定期演奏会に、第2ヴァイオリンで出演させていただきました。

曲目は以下の通りです。

Д.Д.ショスタコーヴィチ作曲
E.ドレッセルのオペラ《哀れなコロンブス》のための序曲とフィナーレ 作品23
交響曲第1番 作品10
交響曲第12番《1917年》 作品112
指揮者 長田雅人(常任指揮者)

それぞれがどういう曲であるのかは各種説明に譲るとします。「哀れなコロンブス」は音源自体も非常に少ないしスコアはショスタコーヴィチ全集にしか収録されていないという珍曲なのですが、かなり滑稽な節回しが面白い曲です。

そして交響曲第1番。室内楽をそのまま編成拡大したような緻密なアンサンブルと同時に、技術的にも結構厳しいところが要求される難曲で、自分自身の練習不足をかなり痛感させられる場面もリハーサルなどでは度々あり、本番直前の2週間は自宅で深夜ミュートを付けて練習するなどテスト直前の高校生のような為体でした。フィンガリングの研究と練習はもっときっちりやっとけばと反省しつつ、本番の出来は勿論いくつかのミスはあったのですが、集中力をギリギリまで高めて臨んだおかげでそれなりにはまとめられたと思います。ただ、グリッサンド山脈からのHighHighCは正直この音域での演奏をしばらくしてないこともあり辛かったなあと。13thポジションとか教則本でやるくらいしか普段出てこないですよ(苦笑)。
技術的なことはそのように色々あるのですが、この曲はアンサンブルの組み合わせが結構意地悪で、色々なパートに対する目配りを多用することが求められます。1stヴァイオリンを含む弦楽セクションは勿論のこと、後ろに座っている木管の皆さんと同じメロディーをやる箇所も沢山あるため、アイコンタクトやソロ奏者のフィンガリングを見つつアンサンブルを組み立てるなどの楽しみ(苦しみ)もあります。こういうことは他の曲でも勿論あるのですが、音圧控えめ、けれど鋭利で怜悧な演奏が求められるこの曲ではそういうアンサンブルの基本中の基本が出来ているかが厳しく求められます。

そんなわけで、この曲は体力もさることながら神経を大変に削られる曲でした。本番が終わるまで胃が刺すように痛かったです、はい。

 

休憩が明けてからはメインの交響曲第12番。ショスタコーヴィチ特有の内省的かつ晦渋な要素が一見希薄に見えることから、世間的な評価があまり高くないこの曲ですが、一つ一つの音符に沈殿する歴史の重みを鑑みるのならばそうとは全く言えないと思います。そして、本番ではオーケストラ全体の猛烈な集中力に巻き込まれるような形で私もパワーをかなり出して眼力を尽くした積もりです。第1楽章の弦楽セクションの一世突撃を思わせる猛烈なアレグロ、第3楽章の数え地獄と後半のシンコペーション、そして終楽章で要求されるダイナミクスの広い演奏など、色々と修羅場には事欠かないのですが、オスティナートを思わせる長大なフィナーレは当日のプログラムの解説にもあったように「赤の他人、流れる血は同じ赤」という理念を歌い上げる(一方でスターリンの恐怖も忘れない)盛り上がりは、オーケストラが一体になると味わうことのできる、あの時間の流れが歪むような充溢感をもたらしてくれたように思います。終止音を弾いたときには右手が痺れてました。

そしてアンコール。今日のこの日のために調達し、ステリハから座席の下に隠しておいた黄色のヘルメットを被り、モソロフの鉄工場!20年くらい前にロシアン・アヴァンギャルドの企画盤でこの曲を知ったときにはなんつーハチャメチャだ(褒め言葉)と思ったものですが、まさか自分がそのを演奏する機会が来ようとは!  特注品の鉄板も含めての大騒音の逸品で、演奏していて実に楽しかったです。起立斉奏は最後の終止音のタイミングが結構難しかったのですが、数度のリハーサルのおかげか本番だけはきっちり決めることが出来ました。

色々と技術的な反省点を挙げていけば沢山ありますし、それは次回に向けて活かしていかなければならないのですが、喪失感が尾を引くような余韻に浸れる演奏会にはなったと思います。これもひとえに来場していただいたお客様、そしてオーケストラの仲間達のおかげです。またこのような経験を持つことができるよう、努力を積み重ねていきたいと思います。