sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

2016年フランス旅行(10): アミアンでウロウロする

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街中を適当にフラフラと歩きながらノートルダム大聖堂を目指す。市の中心部はそれほど大きくはないので別に急ぐ必要はない。私の歩く速度は大分遅いのだが、それでも10分も歩けばノートルダム大聖堂の辺りまでたどり着く。

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一番簡単なルートをたどっていくと聖堂の向かって右手の路地からこの広場に出る。さすがにでかいですね。

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ちなみにほぼ正面から見るとこんな感じです。パリのノートルダム同様フランボワイヤン様式の聖堂ですが、パリのそれよりは少しだけ完成したのが後らしく、そのあたりの違いもあるらしい。でも個々の彫刻は望遠鏡持ってこないと分からんよなあ。

で、聖堂に着いたときはちょうど昼のミサをやっておりました。私はキリスト者ではなくて一介の無神論者に過ぎないので、ミサの時に中に入って写真をバシバシ撮るのはさすがに遠慮している。というわけで昼のミサが終わるまで近所で昼食をとるべくレストランを探す。といっても駅前以外には余り店がなく、観光名所であるサン・ルー地区を除いては多くの場所が閑散としている。まあ仕方がないなあと言うことで聖堂のすぐそばにあったビストロに入り、「今日のランチ」と掲出されていた鶏のクスクスを食す。14ユーロ(食後のコーヒーは別)。なんか今回の旅行、クスクスばっか食ってるなあ……。

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ランチとはいえ、スープが冷えたら一応温かいのを補充してくれます。この手の観光地のメシ屋というのは往々にして酷くまずいことがフランスでも少なくないのだが、ここのお店はそれほど悪くなかった。ちみなに他にもビーフステーキなどを出しており、たぶん米国から来たとおぼしき一行はそれを注文していた。

腹ごしらえを終えたところで聖堂内部へと出発。

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彫刻類の詳しい説明については色々なガイドブックとかwikipediaフランス語版にあるのでそちらを参照していただくとして、とにかくデカい。床面積はパリのノートルダム大聖堂の2倍くらいあるらしい。また、聖堂完成後17世紀辺りまでかけて装飾された彫刻類も見事。ちなみに洗礼者ヨハネの首(と伝えられる)聖遺物などが見られる宝物殿はこの日はお休みで、見ることができなかった。残念。

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というわけで聖堂を一通り見学して、サン・ルー地区に移動。ちなみにサン・ルー地区から見るノートルダム大聖堂はこんな感じ。

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サン・ルー地区は川沿いにお洒落なカフェが立ち並ぶエリア。

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写真には写っていないが白鳥なども何羽かいて風景に彩りを添えている。それなりに結構テクテク歩いて疲れていたのと、せっかく観光に来たのでこの辺りでどっかのカフェにでも入ろうと思ったのだが、あろう事かほとんど満席。えー、ビールでも一杯引っかけて楽しい旅行気分インスタ映え(この旅行の頃はインスタはそんなにまだ流行ってませんでした)な写真と決め込もうと思ったのにケチーと思いつつ仕方がないので川縁の階段に腰掛けて川面を眺めて休憩。

あー、こういうとき一人旅というのは寂しいなあと思う。せめてグループ旅行であればとりあえず並ぶなりしてカフェに席を確保しておしゃべりとかして楽しいひとときを過ごせるんだろうけど、一人だとカフェでは休憩ついでにボーッとするのも限界があり、その他の休憩手段としては本を読むことなどがある程度。それも悪くはないのだが、寂しいときは寂しい。でも、それに耐えないと自由は得られないんだろうな。

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何はともあれ一息つけたので移動を開始。翌日は比較的早起きする必要があるため、パリへ戻るのも早めにしておかねばならないということで、駅へ向かう。

アミアンに着いたときには昼時というのにほとんど人がいなかったメインストリートも、この時間になると比較的人通りが増えてきて、一応の賑わいを取り戻している。

アミアンの駅に戻り、切符を調達。それによると次の電車は40分ほど後だったので、駅に付属のカフェにて時間を潰す。

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カフェつーてもどうも雰囲気からして夜間に酒を提供するのがメインぽい店で、店内は常連ぽい人々が数名おしゃべりをしているだけ。店の外ではマリワナをふかしている連中が何人かいたので用心のため店内でペリエを飲んでだらけていたのだが、フランスの都市は大体国鉄の駅前が場末でアレなのは仕方ないとはいえ、列車を待つときに気が抜けないのは疲れるよねえ……

一応列車は定刻通りに到着し、パリには6時過ぎに到着。昼にガッツリ食べたこともあり、北駅近くの小さいスーパーでビールと水とつまみ(ハム類)を買って部屋で食す。

翌日は荷物を抱えて(一応用心のためタクシーを頼んだ)移動で朝早くに起きなければならないため、荷造り。ビオの店でコキエットを3キロとか石鹸類をイヴロッシェで買いすぎたので荷物が既に重い……計画性のなさがすでに現れていて大いに反省する。

何とか荷物を取りまとめ、10時半に就寝。

2016年フランス旅行(9): アミアンに行く

【4日目】

パリ市内の汚い空気にもうんざりしたため、とりあえずどっか近くの街にでも観光に出かけるベと前日寝床で決定。

ここ10年くらいのパリ市内の空気の汚染は本当に酷いのだが、その最大の要因は自動車の排気ガスである。元々フランス人は自動車のメンテなんかせずにボロい自動車を使い続けることが多いのに加え、パリへの一極集中がこの20年くらいで一気に進んだこともあって、日中の主な通りはほとんど渋滞していると言ってもいい。しかもパリ市自体がセーヌ川の谷間の底にできているような都市であるため、排気ガスなどの汚い空気の出口は川沿いしかない。というわけで晴れた日はほぼ確実に光化学スモッグにやられる危険性を覚悟しておいた方がいいと思う。目薬とかは街歩きでは必須です。

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ということで9時頃ダラダラと歩いて北駅に移動。手許のガイドブックとにらめっこしつつ、時刻表を調べてどこに行こうかなと考える。そうすると40分くらいあとにアミアン行きの特急が出るとのことなので、それに乗ってアミアンのノートル大聖堂でも見に行くべと決定し、切符を購入。

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で、出発までの間時間を潰すことも兼ねて駅の写真を撮影。だが、北駅はユーロスターがイギリスに向けて発着することもあってテロ対策のせいなのか色々と警備がうるさい。「わーいタリスだー」とか言いながら写真をバチバチ撮っていたら警備員に怒られました。まあそもそも北駅は場所柄治安の余り良くない駅で、駅からタクシーに乗るときはちゃんとタクシー乗り場から乗らないとボッタクリに遭うかもよとあちこちに警告の貼り紙がしてあったりするような場所でもあるので、普通の人が夜間にここに来るのはやめておいた方がいいです、マジで。もしダイヤの都合で深夜の到着になっちゃったら走って近所のカフェにまず入ってそこで行動計画を立てるなどした方が安全です(そこでも置き引きには注意)。冗談じゃなくパリの治安は悪いんすよ……

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私もそういうわけで駅の近くのカフェで本を読んで時間を潰し、発車時刻が近づいたところで駅に移動。Corail Téoz(最近欧州の都市間特急の名称共通化に伴いIntercitéとかになったらしいが)に乗車し、ガラガラの車内にとりあえず一安心。

列車は定刻通り発車し、アミアンへ向けと走り出す。

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約一時間半後、アミアン駅に到着。列車を降りて最初に感じるのは、空気が綺麗だということに他ならない。深呼吸しても排ガスの臭いは全然しないし、何より空がきれいだ。

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駅前広場は最近の再開発によって建て直されたもの。駅の目の前にあるオーギュスト・ペレオーギュスト・ペレ - Wikipedia)の設計になる高層ビル(といっても15階建てくらい)と均衡が取れるようにモダニズムっぽいデザインになっている。そうは言ってもフランスのそこそこの都市の例に違わず駅前は場末感漂いまくりなのだけれど。

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で、これがペレの塔です。中は現在でも集合住宅として使われているとかで、市の観光局主催のガイドツアーとかでないとみることはできません。

ちょうど昼時だったので、どっかで腹ごしらえでもしてから観光すべしということでまずは街の目抜き通りをフラフラと歩きつつ、観光に出発。いやー、空気が清浄なのはいいことだ!

オーケストラ・ダスビダーニャ第25回定期演奏会に参加しました

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2月25日、東京芸術劇場で行われたオーケストラ・ダスビダーニャ第25回定期演奏会に参加しました。曲目などは以下の通り。

Д.Д.ショスタコーヴィチ作曲

「葬送と勝利の前奏曲」 〜スターリングラード戦の英雄の追悼に〜 作品130

バイオリン協奏曲第1番 作品77

交響曲第11番「1905年」 作品103

指揮者 長田雅人(常任指揮者)
ヴァイオリン独奏 荒井英治

ソリストアンコールもメインのアンコールもないにもかかわらず、終演が16時30分というボリュームありすぎのプログラムでした。前プロこそ3分前後と短いけど、コンチェルトは45分、メインは65分(しかも全部アタッカ)という体力をゴリゴリ削るようなプログラムでしたから……

個人的には数カ所で痛恨のミスをしたのが大変悔やまれます。理性で演奏をコントロールして「頭はクールに心は熱く」の演奏をせにゃいかんなあとこの歳になって再度痛感します。それを支えてくれるだけの技術があるわけではないし、今回の演奏会は何だかんだで色々とダイナミクスの制御とかよく分からないところにある譜めくり(そのために結構図画工作をした)とかで色々苦労したというのもありますし。

それでも第4楽章の最後のコーダ部分の盛り上がりは出色の完成度だったのではないかと思います。あの猛烈な集中度と熱気は、一度味わうともう普通の世界には戻れない醍醐味の一つです。そして虚空にカリヨンが鳴り響く間の静止も、フライングブラボー抑止の為もあったものの終止姿勢のまま固まっていたときの時間の流れは、オーケストラの醍醐味かくやあらんとも言うべきものだったように思います。
言うまでもなく、「葬送と勝利の前奏曲」でのバンダを伴った爆音はオケ全体の気合いをブーストするのに十分すぎるものだったと思いますし、荒井先生のヴァイオリン独奏はショスタコーヴィチの偉大さを現前せしめるほどの素晴らしいものでした。何食べたらあんなになるんだろう……(食べ物の問題ではない)

来年は交響曲第2番と6番をやる予定です。また色々と半年間準備と修業を積む必要がありそうです。

その時まで、ダスビダーニャ。

アイ・オー・データ機器の製品は二度と買わないし、買わないことを強く推奨する

10月の下旬に4K環境を試験的に構築する必要があり、アイ・オー・データ機器LCD-M4K282XB (http://www.iodata.jp/product/lcd/wide/lcd-m4k282xb/) を購入しました。TN液晶なんで画質とかはイマイチですが、どうせ仕事で使う以上せいぜいExcelくらいしか使わないし、値段もそれなりに安いので選んだという次第です。

ところが1ヶ月後に見事に壊れました。HDMI端子がひとつずつ壊れていって、3つある端子が2日のうちに壊れました。長い時間使っていると挙動が不安定になってきて端子が死ぬので、恐らく端子回りのコンデンサの品質が悪いのではないかと推定されます。

まあ、そこまではありうることなので仕方ないです。ただ、問題なのは、このほぼ初期不良品と言ってもいいような代物をアイ・オー・データ機器の修理センターに送る時の送料は、発払い、つまりユーザーが負担するということです。例えば私は今回このディスプレイを送るのに1700円ほどクロネコヤマトに払いましたが、これは初めての経験です。他のベンダーの機器を保証期間中に修理依頼したことも沢山ありましたが、ほぼ全て着払いでした。サイズの大きい商品の場合、運送業者が事前調整の上引き取りに来てくれました。例えばEIZOのディスプレイがバックライトの設計問題で無償修理となったときは、サポートセンターに電話したところ日時を調整して引き取り修理でした。

このアイ・オー・データ機器の制度の何が問題かというと、例え保証期間中であろうと、ユーザーがその機器をアイ・オー・データ機器に送る場合は常にユーザーが負担を強いられるということです。それが心的障壁となり発送を断念させるということもアイオーデータが考えているのであれば、これは非常に姑息かつ悪質な施策であるといわざるを得ません。

アイ・オー・データ機器NASの性能も悪かったしメディアプレーヤーのAVEL Linkplayerもバグだらけで使い物にならなかったなど、まあひどい製品ばかり掴まされてた記憶しかないので、もう二度とアイ・オー・データ機器の製品を買うことはないと思いますし、知人友人が同社の製品を買おうとすることになったら、全力で引き止めたいと思います。無論、これをお読みの方にも、アイ・オー・データ機器の製品は買うべきではないと忠告申し上げる次第です。

ブレードランナー 2049を観てきました(思いっきりネタバレしてますので未見の方は読まないでください)

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昨日、近所のシネコンにてブレードランナー2049を観てきました。予習として前日譚にあたる3本の短編は全部見てから当日に臨みました。

正直な感想を言うと、イマイチだなと思いました。独立した作品として評価しても、余り出来のいい作品とは思えません。お金がものすごい掛かっているのは分かるんですが。

まずい点を列挙するのは余り気が進まないのですが、まずやはり指摘しておくべきはストーリーが散漫で集中を欠くという点です。前作でカルト的人気の下地になった夢も希望もない公害で汚染されまくり&環境破壊で世界はメチャクチャという世界観を大事にしようとしすぎる余り、その世界観が表象していた現存在の悲惨という観点が抜け落ちていたように思われます。

そして、最大の問題は「人間が人間である本質とは何か」というこの作品のコアとなるテーマがストーリーに受肉していないということに尽きます。
無論、この問いに対する一応の答えは作中で語られるのですが、底が浅すぎて「おいおいそれじゃイスラム国のテロリストと変わらないやろ」とツッコミいれたくなるレベルのもので、これならピコ・デラ・ミランドラの『人間の尊厳について』を下敷きにしている『まおゆう』のメイド姉さんの演説の方が内容的には遥かに深いです。
どういうことかというと、「大義に殉じる」ための理念が崇高であるのは、それ自体として無条件に大義=理念が崇高だからではないということです。それに向かって個々の現実に生きる人間の無限の日々の努力が蓄積されていくからこそ、理念に向かって生きる人間はその意志の力を他の人々に示すわけです。その過程をすっ飛ばして「理念を持っているから我々は人間より偉い」という結論に飛びつくのは、いくら映画の中のお話としても乱暴すぎます。

そして、ドゥニ監督の人間観の底の浅さが露呈してしまっている代表的な場面が、囚われの身となったデッカードの前にレイチェル(の偽者)が登場するシーンです。「本物」のレイチェルは28年前に娘を出産して死んでるのですが、ネアンデル・ウォレス(彼の名前は現生人類に滅ぼされたネアンデルタール人を連想させ、それは新型レプリカントに人類が絶滅させられるであろうということを示唆している)が自分たちに味方した場合の褒賞として「復活」させてデッカードの前に登場させたレイチェルは、30年前のデッカードと初めて出会ったときのレイチェルなのです。

これは、ダメでしょ。

だって、デッカードはそこから28年間隠棲を続けており、レプリカントだけど年齢相応の老け方をしているわけです。だとすれば、再会を言祝ぐ相手は彼同様に老け込んだレイチェルでなければならない。そして2人は過ぎ去った年月のことの四方山話に花を咲かせ、再びどこかの人里離れた秘密の場所で静かな暮らしを送り、28年前に分かれた2人の時間を再びひとつのものとして進めることこそ、虚構とか本物であるとかのつまらない区分を超えての人間性の獲得あるいは回復になるはずなのです。レイチェルの28年分の四方山話の記憶は当然人工記憶になるでしょうが、パートナーと時を渡っていくというのは、そういうことです。離れていたにせよ、同じ時代として蓄積してきた時間の重みが、「人間」としてのこの世界への存在の痕跡を形成するのですから。単なる若いレイチェルを眺めたいなら、それこそ本作の主人公であるKの彼女であるジョイのように人工知能ARアバターにレイチェルのペルソナを移植すれば済む話であるのですから。

前作が映画史に残るダークSFの金字塔となったのにはいくつかの理由がありますが、そのうちで欠かすことのできないのは、やはり最後の場面でのロイ・バッテイ(ルトガー・ハウアー)の"Tears in rain"と呼ばれる詩情あふれる独白でしょう。この詩がもたらす圧倒的な余韻と感動は、同時にこの映画の核心に「人間とは何か」が明確に宿っていることを私達に残して行きます。本作では、このプロブレマティークを観客に叩き付ける「何か」が欠落していました。もしかすると今後のリテイクあるいはマイナーバージョンアップでこのあたりが変わっていくのかもしれませんが、今のままでは「ブレードランナー2049」は中途半端な作品だったと言わざるを得ません。

というわけで、最後に「まおゆう」のメイド姉さんの演説を一部引用しておきたいと思います。

私は、自信がありません。
「この身体の中には、卑しい農奴の血が流れているじゃないか」
「お前は所詮、虫けら同然の人間もどきじゃないか」と。

だからこそ、だとしても、私は、人間だと言い切らねばなりません。
なぜなら、自らをそう呼ぶことが、人間であることの最初の条件だと、私は思うからです。

(中略)

精霊さまはその奇跡を以って、人間に生命を与えてくださり、その大地の恵みを以って、財産を与えてくださり、その魂の欠片を以って、私達に自由を与えてくださいました。

― 自由?

そうです。
それは、よりよき行いをする自由、よりよきものになろうとする自由です。

精霊さまは完全なるよきものとして人間を作らずに、毎日少しずつ頑張るという自由を与えてくださいました。

それが、「喜び」だから。

だから、楽するために、手放したりしないで下さい。精霊さまの下さった贈り物は、たとえ王でも、たとえ教会であっても、侵すことのできない神聖な宝物なのです。

― 異端め!その口を閉じろ!

閉じません!私は人間です!

もう私は、その宝物を捨てたりしない!もう「虫」には戻らない!!

たとえその宝を持つのが、辛く、苦しくても、あの昏い微睡みには戻らない!

ミンシン 哀のうた

(;´Д`)♪

引っこ抜かれて ファシスト都知事について行く
今日も群れる、慌てる、落ちる、そして食べられる
ほったかされて、また会って、投げられて
でも私たち小池に従い尽くします

 

☆そろそろ分裂しちゃおうかな
そっと離党してみようかなーんて
嗚呼、嗚呼、あの党に
恋とか、しながら

 

いろんな派閥が生きているこの党で
今日も群れる、慌てる、落ちる、そして食べられる
引っこ抜かれて、集まって、飛ばされて
でも私たち一票くれとは言わないよ

 

☆くりかえし

 

力合わせず、戦って、食べられて
でも私たち小池に従い尽くします
立ち向かわず、黙って、ついてって
でも私たち公認くれとも言わないよ

帯状疱疹をやりました

掲題の通り、帯状疱疹をやりました。

疱疹が出る部位は色々あるようですが、小生の場合は顔面という最悪の場所でした。帯状疱疹をやったことがある方ならご存じとは思いますが、この病気、刺すような猛烈な激痛が伴うのですね。というわけで顔面(の半分)が痛い痛い。一番ひどい時はろくすっぽ眠れずベッドでのたうち回ってました。余りの痛さに救急車を呼ぼうとも考えたのですが、とりあえず夜間診療をやっている区の病院が近所だったので自転車で駆けつけ、痛み止めを処方してもらってしのぎました。自分自身は痛みへの耐性は強いとは思いませんが、何はともあれかなり辛いです。本当は半月程度入院して徹底的な加療を受けたいのですが、仕事が一人親方的な要素が強いのでムリなのですねハイ。そりゃ強行突破して入院する手もありますけど、退院してきたらたぶんpink slipを突きつけられることになるでしょう。日本の中小企業なんてそんなものです。

そしてこの病気、発生機序としては飲酒やストレスなどによる免疫力の低下がトリガーになることが多いようです。私のことを大酒飲みだと誤解する人は多いのですが、実際には自宅でも滅多に晩酌などの酒は飲みませんし、外での飲酒機会は週1回あるかないかなので、平均的なサラリーマンよりかなりおとなしいです(そんなに飲んでたらお金がもったいない)。ということで原因はストレスなんですが、鬱病を患っていたこともあり小生はどうもストレスに弱いようで、他人からすれば比較的軽度のストレスでもあっさりぶっ倒れます。とりあえず寝てれば大体はストレス反応から回復できるので、本当に重度の鬱病で苦しんでいる人たちからすればまだマシな方ですが、それでもストレスに弱いことには変わりありません。孤独とかには全然ストレス感じないのですが。

では今回はどんなことがストレスになったのか。それを詳述することはしませんが、どうも小生が苦手とするストレッサーには一定のパターンがあることが明らかになっており、カウンセラーからもそういう人種との関わりはできる限り避けるように推奨されているのですが、小さい組織に運悪くそういう人が居た場合は百パーセント関わりを拒否するわけにも行かず、辛いところです。同じようなマインドセットの人はどう対応しているのか、知りたいところです。パニックディスオーダー向けの薬とか服用してしのぐのでしょうか。ううむ、向精神薬は副作用がひどいので避けたいのですけどね。ジェイゾロフトとか1ヶ月分で3000円くらいするので高いし。

ストレスのない生活というのは「金銭的に困らない生活」と同様あり得ないものなのですが、ストレッサーとできる限り関わらない生活を送るにはどうしたらいいのか、しばらく暗中模索の日々が続きそうです。

ひとを罰しようという衝動の強い人間たちには、なべて信頼を置くな!

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェツァラトゥストゥラはこう言った』)

それではみなさま、ごきげんよう

 

裏も取れないダメ記者とそれを鵜呑みにする編プロのダメ担当

biz-journal.jp

いくつか致命的な間違いがある。以下指摘。
>同時発売のタイトルにも目玉になるものがなく、現在もそれ
>ほどレパートリーは増えていません。
ローンチタイトルの「サマーレッスン」と「Driveclub VR」は目玉とされたもので、2016年の東京ゲームショウでも体験ブースは3時間待ちだった。これが目玉でなければなに?


>PSVRの場合、初期出荷数200万台のうち、日本国内に出荷
>したのはわずか5万台程度
全くの嘘。
PSVRの2016年第4四半期(クリスマス商戦)での全世界の出荷台数は88万台で、うち日本への割り当ては10万台弱。2017年上半期までの国内累計出荷は20万台を超えている。そして世界での合計出荷台数は200万台にまだ到達していない。嘘だと思うならサムスンSDIとか半導体メーカーに取材して訊いてみろ。


>ガンガン売り切ってブームを完全に終了させるよりは、小出
>しにしながら、なんとか発売当初の話題性を存続させたいか
>らでしょう
嘘。
PSVRの出荷が伸び悩んでいるのはOLEDパネルの調達が思ったより大変なのと、1枚のパネルで無理やり目玉二つ分の画面を構築する製造難易度の問題が解決していないから。当初の出荷計画では2016年のクリスマス商戦で200万台を一気に出し、今年の上半期までで400万台を出荷する予定だった。このあたりは半導体メーカーにインタビューすればすぐ教えてくれる話。

もう少し裏を取ってから記事書こうよ……
ゲームラボ自体が休刊になって死んだ雑誌ではあるのだけど、エビデンスベーストの記事すら書けないダメ担当は記者気取りをするのを諦めた方がいいよ。

ル・スコアール管弦楽団第42回演奏会に参加しました

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演奏会の直後に長い出張があったりして、アップするのが遅れました。

7/1(土)にすみだトリフォニーホールで行われたル・スコアール管弦楽団第42回演奏会に参加しました。曲目は以下の通りです。

ストラヴィンスキー火の鳥(1910年版)
ニールセン/交響曲第4番「不滅」
指揮: 田部井 剛

普通の演奏会ならメインを飾る曲目ダブルという体力勝負なプログラムです。おまけに難易度も無茶苦茶に高いです。とくにストラヴィンスキー。なんで1919年版にしないのよ(涙)。しかも死ぬほど苦労して弾いても大体は金管木管に美味しいところを全部持ってかれるのでカタルシスゼロというつらさ……。ニールセンの交響曲第4番もいわゆる楽章間休憩がなく40分強ほぼ全力で弾きっぱなし、しかもあちこちに複調とかのややこしい落とし穴パッセージがてんこ盛りという集中力も同時に要求される修羅場プログラムでした。

正直、当日は集中力と気合いで何とか乗り切った感が個人的にはあります。自分にもうちょっと技術的余裕があれば火の鳥はアンサンブルの妙を楽しむこともできたでしょうし、不滅はパワー全開の悦楽に浸れたと思うのですが、諸般の事情(飲み過ぎとかそういうのではない)で体力に無意識のリミッターが掛かっていて外れない状態にあるため、いわゆるゾーンに入っての演奏ができなかったのが悔やまれます。全体としての演奏そのものはきっちりギチギチに仕上がったいい演奏だったとは思うのですが……

そんなこともあり疲労困憊の極みで体がいうことを聞かない為体でしたので、打ち上げは一次会で早々に撤退してきたのでした。次々回は過去にやったことのある曲目があるので、もう少しメインの曲の練習に集中できるかなと思いたいです。反省。