sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

鬱病が残したもの

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正式な診断が下されてからは5年ほど、実質的には6年以上前から鬱病を患っている。

5年前のそれは適応障害から鬱病というお決まりのコースで完全な活動不能にしばらく陥ったのだが、色々な治療を経た現在もまだまだ治る気配はない。ジェイゾロフトなどのSSRNは副作用が大きい割にあまり効果がなく、むしろ離脱症状のきつさを考えると服用しない方が良かったのではないかと未だに思うほどの有様だ。

鬱病というのは本当に辛いものだ。露骨に日常生活に直撃するほどの被害が出る場合でなくとも、その病は生活を少しずつ蝕んでゆく。物事を行おうという意欲が回復するのに多くの時間が掛かるし、物事を行っている最中も意欲が著しく減少するので細かいミスをしがちになる。そしてそのミスがさらに意志を打ちひしぐという悪循環に陥る。

そんなこともあり、今日はほぼ一日中寝ていた。家事を少し行い、部屋を掃除するだけで疲労困憊してしまうのだ。本来なら外に出るなりして体を動かした方が健康のためにもいいのだが、ひとつのタスクを行うとしばらく何もしたくないほど気が滅入る。そして寝床で数時間仮眠を取ってようやく次のタスクとなるわけだ。週末は趣味のオーケストラ以外はほとんどこのような回復作業で日が暮れる。

一応食欲や弱い性欲はあるので、寝床で過ごした数日間が一日に感じられて水くらいしか口にしようという気が起きなかった最悪の時期に比べるとまだマシな状態なのかもしれない。だが、それでもこの病が及ぼす生活への悪影響は計り知れないものがある。そして、この病は怪我などのような外的な特徴を有しない分だけ、他人にはまず理解されず、単に気が弱いか頭の回転が鈍いかはたまた魯鈍かと判じられることが多い。各種知能テストからも自分の生まれ持った知能はあまり高くないことは承知しているが……

本来出来ることならば、数年の、最低でも数ヶ月単位のスパンでじっくり静養し、投薬も含めた根本的な治療を行う必要があるのだろうと思う。だが、そんなことをしていては所得が大幅に減るため生活していけないし、何より空白期間が今後の就労に及ぼす悪影響が余りにも大きいことは明々白々たる事実である。奈落の底へとゆっくりと転がり落ちていくこの社会では、一度ルートから外れることは、零落への特急券を手にすることとイコールなのだ。さすがに、それに乗る決断をするには、私には克服するべき恐怖が多い。

それでもある段階を超えてしまったら、全てを解体するフェーズに自らを切り替えなければならないのだろう。それがいつになるのかは分からない。だが、確実にそれはやってくるだろう。覚悟を決めなければならないのだ。

苦情が私宛に来てますよ、Yさん。

まあ色々あり10年くらいの付き合いのある会社の方から、質問のメール。曰く、小生が前職で在籍していた会社が出している商品のある分析に関し、担当者に質問送ったけど反応が鈍くてどうも要領得ないから小生が知ってたら教えてくれとのこと。やー、その質問の内容に該当する部分は今は退職しちゃった元担当者が苦心惨憺の末創案したもので、社内政治で忙殺されてる某氏以外統計に明るい人が一人もいない現状ではそれって答えるの厳しいかもー、ということで小生がコメントしてお答えしました。
もしかすると「担当者」つーのは社内にある営業部門の人間のことなのかもしれないけど、彼らは日がな名刺トランプと社内政治に精を出しているので、尚更回答は得られないかも……。
その会社には今度別件で色々と話しに行くんですが、その時にこの商品の使い方についてのレクチャーもすることになりそうです。あはははは。

何がネイティブアドだ

【カメラバカにつける薬 in デジカメ Watch】電子シャッターの幕開け(その1) - デジカメ Watch

この漫画の連載、ソニーのフラッグシップレンズ交換式カメラのα9の記事体広告であることはほぼ確定でしょう。キヤノンニコン富士フイルムをそれとなくdisる話が出てきたりするので、メーカーの名前を前面に出しての展開は色々と揉める要因になるからいわゆる「ネイティブアド」という名の出稿主隠匿型記事体広告にしているのだと考えられます。まあシャッター音についてはソニーも過去には自社サウンドエンジニアと協業してミラーユニットを作ったりしてたし同社の最上位レンズはカールツァイス銘ではなくてGMブランドなんだからGレンズとすりゃあいいのにとか色々ツッコミどころはあるのですが、ここでやり方が汚いなあと思うのは、やはりこれが記事体広告であることを隠している(と見てほぼ間違いない)点です。Web広告界隈ではこういうのを「ネイティブアド」とかいう横文字で瞞着するのが大流行しているわけですが、消費者の判断力をある意味で騙すことによって成立するこの手の金稼ぎは、バレたときのブランド価値の毀損とかのリスクを考えるとまともな商売している人間は普通手を出さないもので、焼き畑農業が大好きなWeb広告界隈の有象無象にこそお似合いだなあと思うわけですね。というわけでソニーマーケティングの人はこういうこと止める準備とお詫び文の下書き書いといた方がいいのではないかと思います。

敗戦処理の思い出

以前に勤めていた会社で、とある敗戦処理プロジェクトのプロマネをしていたことがある。

敗戦処理とはいっても周囲の偉いさん達は誰もこれが沈没プロジェクトは思ってなくて、売れないのは現場の担当者の努力が足りないからだと本気で思ってたらしい。結果、ピークでは1000万円近くの、私が担当する前でも400万円近い赤字を量産する完全な不良案件だった。にもかかわらず、偉いさん達は誰も責任を取らず、そして私がプロマネとなった。

赤字を解消するためには①売上を増やす ②支出を減らす この2つを同時に進めていく必要があるわけだが、そのプロジェクト方面に対する知見のあるスタッフが誰もいない中、そして社風がそのプロジェクトと全く適合していないという勢いを増した向かい風の中((c) たっぽい)、社内でコンタクト先を持ってる人を探しては事前営業を数十社行い、数字に明るい人からはこの商品の持つ構造的欠陥について厳しい突っ込みを受けつつもそれをかわし、セールスデッキも自分で作りながらあちこちを回る日々が続いた。「営業開発」を名乗る無能共の最終処分場(何せ彼らは予算を持っていない!)は自分たちがその分野に関する知見がゼロであるのをごまかすためにわざと強気の敵対的態度を取っていたりという笑うしかない状態の中、それでも数件の売上は上積みすることに成功した。

そして経費の削減については、工程の全プロセスを見直して徹底的な標準化と水平分業の推進によるコスト低廉化、前年からの素材の継続使用による習熟向上とエラー削減も実現し、赤字は最終的に70万円までに圧縮することができ、従来ズルズルであった納期も5週間の短縮化を成功、毎年ほぼ同じタイミングで納品することができるまでになった。

だが、これが限界であった。構造的な欠陥を抱えたこの商品は派生しての展開力が極めて乏しく、小生一人が数十社を回るという状況では人的資源の観点からも無理があり、合理的な範疇ではどう考えてもビジネスとして成功し得ない仕事に半年以上関わらなければいけないこと、そして「営業」を冠しつつも社内政治に奔走するだけで何もしないだけの無能の集団を見ながら仕事をするという苦痛はある日私の精神的限界を超えてしまった。かくして、私はよその会社に移るベと決意したのだった。

そして先日、このプロジェクトの2017版納品物が6/16に公開されるらしいと聞いて、昨日同社のWebサイトを覗いてみたところ、こっそりと公開日が6/30に変更されていた。なお、私が担当していたときは4月第3週金曜日の公開が絶対防衛線であり、遅延などまず許されることではなかった。これは公開前に数社の顧客を獲得していたことによる責任が関わるために他ならないが、2017年版はこのようにして平然と納期を遅延させるということは、少なくとも6/16段階では顧客は一社も付いていないのだろう。ちなみに商品の内容そのものも相当に規模が縮小されており、商品としての基本的な信頼性を損なう水準にまで劣化している。そもそもが、コンシューマ向けの調査をベースとした商品であるにもかかわらず、中国で春節に実査を行っている段階で売る気がないと思われても仕方ないだろう(私が担当していた頃は時期バイアスの問題を避けるため、1/2~1月上旬に必ず実査を行っていた)。こんな素人級のチョンボを平然と行うような連中が顧客に対して知的優位性を以て対することなどそもそも無理ではないかと思う。そして全く顧客が付かない場合、また昔通りの数百万円の赤字を垂れ流すだけの商品になるのだから、人的資源の見込みがない段階でとっとと止めてしまうべきだったのだ。誰も責任を取る人間がおらず、戦術・戦略目標も曖昧なまま資本を逐次投入するだけで結局事態は何一つ改善しないどころか無限の泥沼に嵌まっていくというのは日本の組織が100年前から繰り返しており何一つ学んでいない欠陥のひとつだが、あのガチガチのドメスティック企業にはその悪弊が膏肓に入るレベルまで悪化しているということなのだろうと思う。

小学館には校閲がいないのか

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やー、記事自体は女性蔑視むき出しのゴミみたいな記事なので、今更それに対してでんでん……じゃなかった、云々しようとは思わないのですが、写真に付いているキャプション

【バッハの『アヴェ・マリア』を演奏中の岸田一郎氏】

 って一体何だよそれ?!

知っての通りバッハの少なくともよく知られている曲には「アヴェ・マリア」というものはないし、ありうるとしたら平均律クラヴィーア曲集第1巻第1曲の前奏曲にメロディーを乗っけたシャルル・グノー(1818-1893)の「アヴェ・マリア」だろう。しかも、いずれの曲にも左右の手をクロスして演奏する指示はない。とするとこの写真で岸田一郎氏が取っているポーズはデタラメか、あるいは他の曲の演奏風景と取り違えているか、さもなくばマルク-アンドレ・アムランがかつてショパンの曲で披露したように右手と左手をわざと入れ替えて超絶技巧を披露しているかのどれかになる。

そして、問題は岸田一郎氏がこんな意味のない写真を赤恥全開で掲載する妖怪……じゃなかった、溶解した自意識の醜悪さにあるのではない。このキャプションが明らかに間違いであることについて修正を入れなかった小学館校閲部門の水準である。この原稿の初出は紙雑誌の「週刊ポスト」であり、Web媒体にありがちな編集部門不在のザル原稿ではないのだ。紙媒体であれば余程のひどい実話系雑誌であっても一応外部校閲は入るし、ネトウヨ小児右翼様御用達のクオリティ雑誌「SAPIO」の版元であらせられる小学館なら尚更である。勿論実際の記事の大半は下請けの編プロが実務を回してるんだろうが、それも含めてこの手の最低限の事実レベルの品質管理が出来ていない同社の査読体制はどうなっているのか、正直心配になるのですね。

ニコニコ動画のプレミアム会員契約を解約することにした

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5年ほど払い続けてきたニコニコ動画のプレミアム会員だが、今月を以て解約することにした。理由は以下の通り。
1. 個別の有料チャンネルが増え、プレミアムであることの優位性が薄くなった。
2. 虎ノ門チャンネルなど、ヘイトスピーチを垂れ流す集団への対応が適切ではないこと。
3. 上記に関連して、ヘイトコメントの排除などの適切な措置が行われていないこと。(コメントのセンテンスが短いため、深層学習に基づく構文解析を用いれば、かなりの割合でヘイトスピーチは弾けるはず。リアルタイムは難しいとしても、バックエンドでサーバーを動かすことはそう難しいことではない)
4. HTML5への対応が不十分であること。未だに新プレイヤーがバグだらけというのは怠惰以外の形容詞が見つからない。
5. VRコンテンツへの対応が見られないこと。
6. 海外優良コンテンツなどのアグリゲーションが見られないこと。
要は、超会議とかいうハタから見ていると実に閉鎖的なイベントに代表されるように、身内のノリを大事にしすぎるあまり、イノベーションや世界の潮流に取り残されているものに対しては、金を払う必要性はないということだ。ドキュメンタリーなどの面白いコンテンツはNetflixがあるし(Huluは死んだ)、VRへの対応はYouTubeなどが積極的に進めている。そんな中で、ムラ的なあり方を改めようとしないニコニコ動画は、キラーコンテンツとなるCGMのムーブメントもないし、各種指標からしてもう落ち目にさしかかっていると見ていいだろう。

曲学阿世のアナリスト

www.news-postseven.com

スマホの人気が出始めた2010年頃に、スマホコンデジの共存をテーマに市場予測レポートを書いたことがある。バックデータとしてはコンシューマサーベイや部品の集積率に関する予測などを用いたのだが、私がそこで導いた結論は「コンデジのローエンド市場はスマホですぐに壊滅、ミドルレンジは超高倍率モデル以外はスケールメリットが維持できなくなりジリ貧、センサーサイズがでかい高級モデルだけがそこそこの市場で残る」というものだった。勿論マーケットサイズの推定もやっていた。

ところが、この結論が顧客の機嫌を損ねるのではないかと危惧した当時の出戻り上司Oと外部から呼んできた部長Sなどが細かいデータの解釈から何から何まで難癖を付け、結果として私の結論は撤回させられた。そして代わりに「スマホコンデジは共存しうる」という結論が前面に出ることになった。

もちろん、市場がどうなったかは上に引用した記事の通りであり、余程スパ抜けた機能でも持たない限りコンデジ(とビデオカメラ)は最早死に筋の商品である。私の導いた結論を潰したOとSの知能や倫理が腐りきっていることを指摘するのは勿論のことではあるのだが、彼らを説得するか無視するだけの強さを持つことが出来なかった当時の自分が情けないと思う。

撲つべきは他者の愚昧ではなく自らの弱さであると、今は思う。

2016年フランス旅行(8): 久しぶりのシテ島

【3日目】

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地図を眺めてどこに行くかを考える。正直この界隈からだと行けるところはあまり多くないのだが、バスに乗ればシテ島まで一本で行けるらしいと言うことが判明した。そういえばシテ島のあれやこれやは10年以上訪問していない。ノートルダム寺院のクリーニングも終わったようだし、どういうものであるのか見に行くかということでバスに乗る。

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バスは一旦右岸地区に入って市役所の前に止まるため、そこで下車。端を渡り、観光土産物屋だらけの通りを歩いてノートルダム寺院方面に向かう。

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久しぶりに近くに立ち寄るノートルダム寺院はずいぶんとファサードがきれいになっていた。以前は排気ガスでもっと黒ずんでいたし、彫刻も所々大きく傷んでいたものだった。テロの脅威があるとは言え、このエリアの観光客の賑わいは相変わらずだ。無論、あちこちに自動小銃を構えた治安部隊が睨みを利かせているのだが。

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そしてここがフランス全土の道路のゼロ起点になっている地点。ノートルダム寺院の正面入口のすぐそばにあるため、自撮り棒を使って両方をアングルに入れて写真を撮る人々が大変多かった。個人的印象だが、ここがゼロ起点であるということは昔はあまり知られておらず観光ガイドにもほとんど載っていなかったのだが、今回の訪問ではずいぶんと有名になっていたようだ。これもSNSなどの力だろうか。

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薔薇窓をカメラの高感度のテストがてら撮影してみる。

今回の旅行では撮影機材としてボディはD750、レンズは14-24mmF2.8と24-70mmF2.8(初代)を主に携行している。あとで書く予定だが本当は望遠レンズも持って行きたかったのだが、70-200mmF2.8はまだ持ってないし200-500mmは手荷物として持ち運べるサイズでは全くないため、一応ということで18-200mmVR(初代)は鞄に詰めていた程度である。

教会のように光量が非常に少ないところでは高感度に強い撮像素子の力が遺憾なく発揮されたが、等倍で眺めてみるとステンドガラスの描写においてはレンズの貢献するところも大であったと思う。大昔にコンパクトデジタルカメラで撮影したときとは比べものにならない画像が得られるのはありがたいとしか言いようがない。

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ノートルダム寺院を出て左岸地区に再びちょっと足を踏み入れる。

アイキャンディ的と言えばそれまでなのだが、フュゾー規制のおかげでこのような写真でもそれなりに絵になるのは流石というべきだろう。そのせいで都心部の再開発がなかなか進まないという問題はあるのだが、そんな経済性の価値よりも人間にとって何がより大事なのかを、この風景はセーヌ川を渡る風と共に教えてくれるように思う。東京では、勿論自分が住人であるという事実が先行しているわけだが、フラフラと歩きながらカメラを構えて撮ればかつてと変わらぬ風景がフレームに収まるという場所はほとんどない。そしてその不連続性あるいは過去との断絶が、自己が立つ場所の時間的性質に対する認識を不安定なものにしてしまうという問題は反省的に認識されて然るべきだろう。例えば、このパリの地点は、私が留学していたかなり前も恐らくそのままだった。そしてそこに私が再びやってくることで、私は自己の変質を見つめ直すことができる。しかし、外部世界が絶えず変化を続ける環境では、意識は自己の変化よりも外的世界の変化に追随することを優先するあまり、内面の問題をどこかに置き忘れてしまう。視覚への傾斜をとかく強める今日の社会においては、その問題は人間性の危機とセットで捉える必要があるように思う。

 

あちこちを歩き回ってかなり疲れたようだったので、バスに乗ってホテルに帰投。ホテルそばのカフェで軽い食事を取る。10時頃就寝。

オーケストラ・ダスビダーニャ第24回演奏会に出ました

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先週3月12日、池袋の東京芸術劇場で行われたオーケストラ・ダスビダーニャ第24回定期演奏会に、第2ヴァイオリンで出演させていただきました。

曲目は以下の通りです。

Д.Д.ショスタコーヴィチ作曲
E.ドレッセルのオペラ《哀れなコロンブス》のための序曲とフィナーレ 作品23
交響曲第1番 作品10
交響曲第12番《1917年》 作品112
指揮者 長田雅人(常任指揮者)

それぞれがどういう曲であるのかは各種説明に譲るとします。「哀れなコロンブス」は音源自体も非常に少ないしスコアはショスタコーヴィチ全集にしか収録されていないという珍曲なのですが、かなり滑稽な節回しが面白い曲です。

そして交響曲第1番。室内楽をそのまま編成拡大したような緻密なアンサンブルと同時に、技術的にも結構厳しいところが要求される難曲で、自分自身の練習不足をかなり痛感させられる場面もリハーサルなどでは度々あり、本番直前の2週間は自宅で深夜ミュートを付けて練習するなどテスト直前の高校生のような為体でした。フィンガリングの研究と練習はもっときっちりやっとけばと反省しつつ、本番の出来は勿論いくつかのミスはあったのですが、集中力をギリギリまで高めて臨んだおかげでそれなりにはまとめられたと思います。ただ、グリッサンド山脈からのHighHighCは正直この音域での演奏をしばらくしてないこともあり辛かったなあと。13thポジションとか教則本でやるくらいしか普段出てこないですよ(苦笑)。
技術的なことはそのように色々あるのですが、この曲はアンサンブルの組み合わせが結構意地悪で、色々なパートに対する目配りを多用することが求められます。1stヴァイオリンを含む弦楽セクションは勿論のこと、後ろに座っている木管の皆さんと同じメロディーをやる箇所も沢山あるため、アイコンタクトやソロ奏者のフィンガリングを見つつアンサンブルを組み立てるなどの楽しみ(苦しみ)もあります。こういうことは他の曲でも勿論あるのですが、音圧控えめ、けれど鋭利で怜悧な演奏が求められるこの曲ではそういうアンサンブルの基本中の基本が出来ているかが厳しく求められます。

そんなわけで、この曲は体力もさることながら神経を大変に削られる曲でした。本番が終わるまで胃が刺すように痛かったです、はい。

 

休憩が明けてからはメインの交響曲第12番。ショスタコーヴィチ特有の内省的かつ晦渋な要素が一見希薄に見えることから、世間的な評価があまり高くないこの曲ですが、一つ一つの音符に沈殿する歴史の重みを鑑みるのならばそうとは全く言えないと思います。そして、本番ではオーケストラ全体の猛烈な集中力に巻き込まれるような形で私もパワーをかなり出して眼力を尽くした積もりです。第1楽章の弦楽セクションの一世突撃を思わせる猛烈なアレグロ、第3楽章の数え地獄と後半のシンコペーション、そして終楽章で要求されるダイナミクスの広い演奏など、色々と修羅場には事欠かないのですが、オスティナートを思わせる長大なフィナーレは当日のプログラムの解説にもあったように「赤の他人、流れる血は同じ赤」という理念を歌い上げる(一方でスターリンの恐怖も忘れない)盛り上がりは、オーケストラが一体になると味わうことのできる、あの時間の流れが歪むような充溢感をもたらしてくれたように思います。終止音を弾いたときには右手が痺れてました。

そしてアンコール。今日のこの日のために調達し、ステリハから座席の下に隠しておいた黄色のヘルメットを被り、モソロフの鉄工場!20年くらい前にロシアン・アヴァンギャルドの企画盤でこの曲を知ったときにはなんつーハチャメチャだ(褒め言葉)と思ったものですが、まさか自分がそのを演奏する機会が来ようとは!  特注品の鉄板も含めての大騒音の逸品で、演奏していて実に楽しかったです。起立斉奏は最後の終止音のタイミングが結構難しかったのですが、数度のリハーサルのおかげか本番だけはきっちり決めることが出来ました。

色々と技術的な反省点を挙げていけば沢山ありますし、それは次回に向けて活かしていかなければならないのですが、喪失感が尾を引くような余韻に浸れる演奏会にはなったと思います。これもひとえに来場していただいたお客様、そしてオーケストラの仲間達のおかげです。またこのような経験を持つことができるよう、努力を積み重ねていきたいと思います。

手足を切りとるのは、たしかに痛いでしょう。ですが、切り捨てられる手足から見れば、結局のところどんな涙も自己陶酔にすぎませんよ。(シェーンコップ)

かなり昔に在籍していた会社の元上司と、先日飲んだ。会うのは5年ぶりくらいだろうか。月日の流れるのは早いものだ。

その会社に在籍していた最後の一年間のことは、正直あまり思い出したくない種類のものではある。彼も含めた会社(といっても社員7名程度の小さい組織だが)の経営側の連中とそれに与する与太者約一名が寄ってたかって小生から仕事は取り上げるわ、2ヶ月掛けてまとめた大きなプロジェクトの商談の表彰をなぜか実際に業務を回しただけの人間に与えて小生はなしのつぶてだわ、とある事件に関して小生の見通しが正しかったにもかかわらず「お前はバカだ」と怒鳴りつけられるわ、まあ組織に脳を縛られた人間はここまで堕落するのかと色々観察させて貰ったという記憶がある。で、個人的にも愛想を尽かして転職することにしたのだが、転職が決まったことを知らせたときの元上司の邪な笑みを未だに忘れることは出来ない。要は、出て行ってくれて自分の立場も保全されて嬉しいわい、ということだったのだろう。彼には色々と世話になったことは否定できなかったのだが、彼のその表情を見たときに、彼の精神は私にとって最早軽蔑すべきものになっていたのを痛感したのだった。ああ、こういう人間になってはいけないよね、と。

月日は流れ、彼がしきりに会いたがっているという話を人づてに聞きつつも、それを承けることにしたのは、彼が社長(となっていたのだ、零細企業だが)をつとめる会社のグループ会社が先日倒産したという話を聞いたからだ。法律上の瑕疵はないとしても、同じビルで顔を合わせる仲間達が路頭に迷うことになったということに関する倫理的な問題について、どう考えるのか聞いてみようかと思ったのだ。もう1つは、かつて私に行われたような扱いをする人間に対するある種のニル・アドミラリ的感情が少しばかり私の内面にも定着するのを感じるようになってきたからでもある。言い換えるならば、愚かであることについて、私達がどのくらい自覚的であるのかを意識する時間を持つのも悪くはないのではないかと考えたからでもある。

5年ぶりに会った彼は、正直私の目には少しからず退歩しているように見受けられた。緩やかな縮小再生産傾向にあるとは言え、かの系列会社のように経営が悪化し始めてからわずか3年で倒産するような危機には今のところはないらしい。そのような変化の乏しい環境でビジネスを続けている彼の姿は、極めて変化の早い世界で仕事をせざるをえない、そして生き残るためには絶えざる情報と知識の獲得が絶対条件(このような環境は正直快適とはいいがたいのは事実だとしてもだ)である私の目からすれば、彼の置かれている環境と彼のあり方も含めて、あまりにも旧態依然を言祝ぎすぎているように見えたのだ。伝統工芸であればそれもまた羨むべきあり方だが、残念ながらそうではないところが悲しい。

系列会社の倒産を他人事のように語った彼は、私を退職に追い込んだ経緯について、形ばかりの謝罪をした。あの時は自分も辛かったのだと言い訳をしつつ。それを聴きながら、私の頭の中にはアイヴズの交響曲第4番が垂れ流しになっていた。利根川幸雄ではないが、本当に詫びるつもりがあるのなら、別の言い方もあるのではないか。少なくとも彼の言葉はその当時の彼の立場にかこつけて赦免を求めるだけのものに過ぎなかったように私の目には映った。

もしも、心底それが倫理に悖る行為であったと考えているのなら、私に謝罪する必要は究極的にいえば存在しない。むしろその罪を私とは関係のないところで可能な限り長い期間にわたって悔いることが必要なのだ。なぜなら私という個別性を捨象してこそ、行為の何が問題であったのかという反省は普遍性を持つからだ。そして、普遍性に至らない意識は結局の所自己の枠組みから外に出ることはない。つまり、その段階での謝罪は所詮我が身可愛さのものでしかないのだ。私が彼に凡庸な矮小さを感じたのは、その点だったと思う。あくまで個別性の枠組みで最終的な謝罪をしたいのであれば、同害反復を自らに課するしかない。

そして、そこまで他者に期待するのは、言うまでもなく過剰である。他者は自分ではないし、この審級は自らの道徳律として自らに課するからこそ価値を持つ。だから私も彼が今後どのような人生を送り何を考えるのかは全くどうでもいい話であるし、ゆえに未来永劫何らかのステートメントを求めようとも思わない。そして、何らかの緊急事態でも起こらない限り、彼にまた会おうとも思わない。会う必要性は私の人生には最早存在しないからだ。

彼と別れて、最寄り駅から陋屋へと戻る道すがら、「手足を切りとるのは、たしかに痛いでしょう。ですが、切り捨てられる手足から見れば、結局のところどんな涙も自己陶酔にすぎませんよ。自分は国のため私情を殺して筋をとおした、自分は何とかわいそうで、しかもりっぱな男なんだ、というわけですな」というワルター・フォン・シェーンコップの名台詞がどこからともなく聞こえてきたのは、恐らく気のせいだろう。