sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

鬱病が残したもの

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正式な診断が下されてからは5年ほど、実質的には6年以上前から鬱病を患っている。

5年前のそれは適応障害から鬱病というお決まりのコースで完全な活動不能にしばらく陥ったのだが、色々な治療を経た現在もまだまだ治る気配はない。ジェイゾロフトなどのSSRNは副作用が大きい割にあまり効果がなく、むしろ離脱症状のきつさを考えると服用しない方が良かったのではないかと未だに思うほどの有様だ。

鬱病というのは本当に辛いものだ。露骨に日常生活に直撃するほどの被害が出る場合でなくとも、その病は生活を少しずつ蝕んでゆく。物事を行おうという意欲が回復するのに多くの時間が掛かるし、物事を行っている最中も意欲が著しく減少するので細かいミスをしがちになる。そしてそのミスがさらに意志を打ちひしぐという悪循環に陥る。

そんなこともあり、今日はほぼ一日中寝ていた。家事を少し行い、部屋を掃除するだけで疲労困憊してしまうのだ。本来なら外に出るなりして体を動かした方が健康のためにもいいのだが、ひとつのタスクを行うとしばらく何もしたくないほど気が滅入る。そして寝床で数時間仮眠を取ってようやく次のタスクとなるわけだ。週末は趣味のオーケストラ以外はほとんどこのような回復作業で日が暮れる。

一応食欲や弱い性欲はあるので、寝床で過ごした数日間が一日に感じられて水くらいしか口にしようという気が起きなかった最悪の時期に比べるとまだマシな状態なのかもしれない。だが、それでもこの病が及ぼす生活への悪影響は計り知れないものがある。そして、この病は怪我などのような外的な特徴を有しない分だけ、他人にはまず理解されず、単に気が弱いか頭の回転が鈍いかはたまた魯鈍かと判じられることが多い。各種知能テストからも自分の生まれ持った知能はあまり高くないことは承知しているが……

本来出来ることならば、数年の、最低でも数ヶ月単位のスパンでじっくり静養し、投薬も含めた根本的な治療を行う必要があるのだろうと思う。だが、そんなことをしていては所得が大幅に減るため生活していけないし、何より空白期間が今後の就労に及ぼす悪影響が余りにも大きいことは明々白々たる事実である。奈落の底へとゆっくりと転がり落ちていくこの社会では、一度ルートから外れることは、零落への特急券を手にすることとイコールなのだ。さすがに、それに乗る決断をするには、私には克服するべき恐怖が多い。

それでもある段階を超えてしまったら、全てを解体するフェーズに自らを切り替えなければならないのだろう。それがいつになるのかは分からない。だが、確実にそれはやってくるだろう。覚悟を決めなければならないのだ。