sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

身元を隠すことの正当性とは

以前、福島第1核発電所事故の処理作業に当たる人たち向けのWebサイトの話を書いた。

福島第1核発電所―フリガナだらけのテキストが物語るもの - sadaijin_nanigashiの日記

sadaijin-nanigashi.hatenadiary.jp

これ。

色々と関係者への取材というか聞き取りを通じて、この仕事が日経BPコンサルティングという日経BP社の子会社が請け負っていることがほぼ明らかになった。受注金額は1億円くらいらしい。普通はWebサイトで1500万円程度、紙媒体で2000~3000万円程度なので、紙媒体を含めてもこの手の仕事としては破格の高値である。

現場で働く人々への情報提供のメディアが必要であることは私も強く同意する。特に、F1(福島第1核発電所の略称)の事故処理のように終わりが見えない毎日が続く場合、日々のニュースや食堂の献立がなにかという話は気を紛らわす数少ない手段になり得る。東電からn次下請けまでトータルで数千人もの人々がこれに携わっていることを考えれば、それは必要であることは否定しない。

だが、それを企画・出版するにおいて、なぜ編集主体の名前が極めてわかりにくい、あるいは伏せる形となっているのか。そこには偽善メディアの代名詞である雑誌「ソトコト」に東京電力が深く関わっていた、そして同誌ではある時点まで核発電について極めて肯定的な態度を取っていたことのような、ある種の卑怯さを感じるのだ。

もし、社として、東京電力やそれに関連する集団の福島第1核発電所事故に関する(少なくとも)倫理的責任への認識があるのならば、取るべき態度というのは二つ想定される。即ち、

1. 倫理的問題はない: 従ってその処理に関連する案件を受託し行うことも問題はない。

2. 倫理的問題はある: しかし現場作業員に対するメディア的必要性は中立的かつ明白であるので、それに関しての業務を受注することには倫理的問題はない

これらを満たさないのであれば、彼らはこのような案件を行う事に対し、何らかの倫理的問題があると考えているのではないのか。編集主体がほとんどのところ徹底的に隠蔽されている現実は、そのような疑義を提起させずにはおかない。

しかも、だ。私が入手した受注金額に関する情報が事実ならば、このような案件を引き受けることで日経BPの子会社が「核村」の仲間入りをしているのではないのかという疑念もさらに深めることになる。編集プロダクションが一般に引き受ける価格を明らかに逸脱している金銭の流れは、それが社会的には時として忌避される種のものであることも暗示している。少なくとも日経BPといえばカード加入者宛に雑誌の購読を求めるDMを送りつけてきたり、会社の雑誌ラックには結構な頻度で置いてあったりすることからも分かるようによく名前の知られた会社である以上、李下に冠を正さずということは、その子会社であっても求められるコードではないのだろうか。