sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

2016年フランス旅行(5): フランドルの道

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午後は北駅からバス54号線に乗ってフランドル通りへ。この通りには十数年前私がフランスに留学していた折に住んでいたアパルトマンがある。住んでいた当時にもひったくりに遭ったし、色々な意味で治安のいい場所ではないのだが、有色人種が数多く住むこの界隈では東洋人であることで奇異の眼で見られることはあまりない。無論無教養な一部の連中からの人種差別は少なからず経験はするのだが、それでもフランス国民戦線のような極右が強い地域で受ける刺すような視線に比べればまだずっとマシだろう。言われたら、やり返せばいいのだから。

 

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フランドル通り(avenue de Flandre)は以前はフランドル街(rue de Flandre)という下位の名称で呼ばれていた。しかし私がフランドル通りのアパルトマンに引っ越した少し前、中央の歩道帯に木が植えられると同時に通りの名前も現在のものに昇格した。
当時は木が植えられた直後ということもあり、街路樹はとりあえず植わっていますというものでしかない貧弱なものだったのだが、十数年の月日は街路樹を立派な憩いの場に成長させた。9月にしては比較的強い日差しのなか、街路樹の下にあるベンチで一休みするのは実に心地よいものだった。
もちろん、歳月が流れるということは街の様子が変貌することも意味する。お総菜を買うことの多かったCasinoというスーパーは売り場面積が半分になっていた。日曜大工道具を買っていたBHVはドイツ系のLiDLに替わっていた。また、いくつかの店は潰れたり店名が変わったりしていた。
だが、そこは街の変化の速度が遅いパリである。私が住んでいた時も平均1時間待ちで評判の悪かった郵便局の混雑は相変わらずのままだったし、界隈で一番評判の良かったパン屋や、私がよく肉を買っていたハラル肉屋も健在であった。また、中華系移民が経営する食材屋も数件営業を続けており、数年経てば店があらかた入れ替わる小生の日本の実家の近所よりもはるかに懐かしさを留めている界隈であった。
場所と自分との結びつきは、このような過去の風景との連続性にも求められるように私は思う。長い年月を経ても変わらない風景の場所に立つことが叶うのであれば、私はそこにかつて自分がいたのだという内的な意味での時間の連続性を再生させることができるだろう。しかし、あまりにも早く街の風景が変わる東京のような場所では、久しぶりに戻った場所はほぼ例外なくその姿を大きく変えている。それは街の活力でもあるのだろうが、私の記憶の流れの中には、ちりぢりに、そして小間切れになった、連続性のない個別の記憶の断片が残るだけになってしまう。このとき、私は自分がどこから来て、どこに行こうとしているのか、全く見当が付かなくなるという混乱に陥る。日本で時々私が味わう自己の現在性の欠落に伴う不安は、このような経験と恐らく無関係ではないと思う。

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フランドル通りから運河沿いに歩みを進める。ウルク・ヴィレット運河はパリの郊外の諸都市も結ぶ運河で、年に一度の無料遊覧船では運河から郊外の諸都市(所謂「赤い郊外」)がいかに荒廃しているのかをまざまざと見せつけられるのだが、少なくともパリ市内に限っては以前よりもオシャレに改装されているようだ。
それでも、運河沿いの広場や公園の一部は鉄柵で封鎖されている。これは工事に伴うものではなく、シリアやアフリカからの移民・難民ホームレスがそこで屯したりテント村を作ることを防ぐためのものである。飲料には適さないけれども水はそこにあるから、とりあえずシャワー代わりに使うのには問題ないし、公園の砂地はテント用のペグを打ち込むのにもってこいなのだ。
両者のそれぞれの対立する理由と事情は分からないではない。だが、それを見ると、何とも暗澹たる気持ちになるのも事実だ。

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橋を渡る。ポン・デ・ザールでもないのに南京錠が数多く取り付けられている。恋愛で頭がアレになっている人に指導してもきかないのだろうけれども、誰がこういう【自主検閲】なの始めたんだろう。別れたら自動解錠……したら意味ないか。

橋の向こうは19区でも比較的高級な地区に入る。特にジャン・ジョレス通りから区役所までの一帯は、フランドル通りの19区とは全く異なる所謂「パリらしい」街の装いを見せる。私が洗剤(フランスの通常の洗剤はあまりにも強く、小生の場合肌が荒れまくるのでこういうお店で売られているエコベールやビオトップなどを使うしかなかった)を当時主に購入していたBioのスーパー「Canal Bio」があるのもこのエリアである。土産物の調達も兼ねて少々買い物をする。なお、ここのショッピングバッグは十数年前に小生が購入したものとほとんどデザインが変わってなかった。レジにいた若いお兄さんにその旨を話すと、かなり驚いていた。