sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

話し手側には権利はない

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これの続き。

恐らく、佐野氏とか言うデザイナーがリエージュ劇場のロゴをパクったという可能性は、諸々の報道を読む限り低い。そんなところまでいちいち確認していたらデザイナーの仕事はとてもではないがつとまらないからだ。一日は24時間しかない。

だが、このロゴはメッセージであり、世界の人々とのマス的なコミュニケーションである以上、その内容の理解やコノテーションの伝達に関しては、メッセージの送り手である彼らがいくらその正当性を叫んだところで、それは相互的ではない以上、物真似との声が各所で上がってしまった以上、既に失敗であると考えるべきである。即ち、文脈とか法的枠組みでの正しさがどうであろうが、受け手が一度何らかの解釈をしてしまったのであれば、そしてそれがある程度合理的な解釈かつ少なくない受け手の一致するところであるのならば、メッセージの送り手はその現実を甘受する他はなく、即ち今回の件で言えばここまで炎上してしまった以上、事の本質は盗作であるか否かという議論というレベルからは既に逸脱しているのだと考えなければならない。むしろ、「東京オリンピック」をオリジナリティある形でロゴに形象化して伝達するという活動が失敗したという点こそ、この問題においては反省されるべきであろう。
※サッカー日本代表のユニフォームに旭日旗のモチーフを見て特定の層が騒いだという件があったが、多数派にはなり得ていないし、それらとは政治的立場を異にする層からの同意がなかったという点では今回の件とは判断が異なるものになると小生は考えている。

その点では、問題は法的な意匠権などをクリアしているかという点ではないのだ。「似ていると『誤解される』かもしれない程度のオリジナリティの欠如した退屈なデザイン」を許容してしまった審査側の知的あるいは美的怠惰こそ、実は批判されるべきであり、そういう点では今回のコンクールの知財関連の実務回りも担当した電通のチームの見識レベルは、すくなくともコミュニケーションのあり方という点においては相当に幼稚であると言わざるを得ないのだ。