sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

はっきり言おう、竹中平蔵は歴史に関しては素人以下だ。

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本文から引用。

こうした無血革命はヨーロッパ以外ではなかなか考えられない。日本の明治維新でさえ、外国からの軍事的圧力と、その後の内戦を経て完遂され、多くの命が犠牲になった。名誉革命では、ヨーロッパ人の“したたかさ”が血を流さない問題解決を可能にしたと言えよう。

神々は渇く』くらい最低限読んでから書けよバカ、というのが読後の感想だ。欧州の諸革命はほとんどの場合な大規模な流血が起きている。だからこそ名誉革命はそういう有り難い名で呼ばれているわけだ。しかも実際には名誉革命でも対立勢力同士の小競り合いで 死者が出ている。

流血の事態に到った欧州の革命は枚挙にいとまがない。例えば19世紀の「諸国民の春」ではほとんどの革命勢力は反革命の権力側によって酷たらしい最期を遂げている。ギリシャの独立はバルカン問題も絡んで流血どころの騒ぎではなくなった。20世紀のドイツ革命では一月闘争で多くの労働者が虐殺された。挫折したけどプラハの春だって革命の一歩手前と見なすことができるだろう。

むしろ、欧州の人権理念は、このような血で血を洗う激烈な闘争の末にようやく勝ち取られてきたものである。だからこそ、欧州での人権理念はそんじょそこらの曲学阿世の徒が腐れ世襲政治家に取り入ったところで動かせるようなものではないのである。

ところが竹中のような人身売買を屁とも思わないような輩はそのあたりを意図的に無視しているのか、あるいはバカだから綺麗さっぱり忘れているのか分からないが、欧州の近代史と人権の確立が如何に深く結びついているかを無視している。こういう人間が経済学者のツラをしてのさばるような現実は、決して許してはならないと私は思う。

なお付言しておくと、欧州以外にも無血革命の事例は数多い。ブルキナファソのコンパオレ政権崩壊に当たっては数十名の死者は出たが内戦には到ってないし、チュニジアジャスミン革命だってベンアリ政権側と反政府側での内戦はほとんどなかった(治安部隊と民衆の衝突で100人前後の死者は出たとされる)。その他にも無血革命といえばキルギスチューリップ革命とかジョージア(グルジア)のバラ革命なども挙げられようし、インドネシアでのスハルト政権の終焉やフィリピンでのピープル・パワー革命も無血革命に含めてよいだろう。また、旧植民地諸国での革命は、フィリピンは勿論のことニカラグアやチリ、ベトナムカンボジアの例を引くまでもなく結構な割合で植民地からの独立戦争も兼ねていることが多いため、死者が多いのは当たり前である。

この程度の知識すらない阿呆が学者面をしてられるのだから、日本はとことんおめでたい国である。