sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

情報を価値にするのは、まだまだ人間の領域です。

www.asahi.com

SNSでは書きましたが、先週、報道機関向けに説明会をやりました。それと同日、@Pressなどを使ってプレスリリースを配信しました。
ここまではよくある話ですが、実はプレスリリースに書いた情報は、報道機関向け説明会に来て初めて補完されるように仕立てました。つまり、報道機関向け説明会に実際に来た記者が書いた記事と、プレスリリースだけを元にして書いた記事では質的にはっきりとした差が現れるような仕掛けを仕込んでおいたのです。
案の定ですが、その差は明確に現れました。プレスリリース丸写しが大半のWebニュースサイトでは非常に中途半端な内容になった一方、きちんと記者が来たケースでは紙メディア・Webメディアを問わずちゃんと内容の全体を捉えた記事になっていました。
質を高めるためのあり方には、こういう日頃の行動にもヒントがあるはずです。こういう時代だからこそ、きちんと人を使って情報を足で稼ぐ。記事をちゃんとチェックするために校閲査読部門を置く。そうした当たり前のことができていないWebメディアは、残念ながら最終的には嘲笑の対象になるでしょう。

大手町フィナンシャルシティでの出来事

大手町駅構内で大手町フィナンシャルシティ内ビジネスライブラリーの会員証を拾得。電話したところ持って来いとのことだったので5分ほど歩いて届けた。でもお礼とかはナシ。無論お礼欲しさで届けるわけではないけど、もっと臨機応変な対応があるんではないかと思った。

以前空港の待合ロビーでスマホ拾ってゲートが閉じたばかりの飛行機の搭乗口にに届けたら、カウンターの人が即席で(気圧変化対応用の)飴玉を見繕ってこさえた袋詰め+「ありがとうございます、良い旅を」との手書きのメッセージカードをくれたことがあった。作業時間は2分くらいだろうし、コストも全然かかっていないけれども、こういうのをもらうと人助けをして良かったなと思えるものだ。私のような凡俗の徒はそういう現金な経験でもなければ自ら人格の陶冶などしないものだ。

そして思うのだが、こういうことが咄嗟にできるかどうかというのは、個別のマニュアルの整備とかではなく、自らの組織がどこを向いて仕事をしてるのかについてを意識化してその外部へとまなざしを向けられるか否かという、すぐれて当たり前の人間的なあり方に伴うものなのではないだろうか。そういう意味においても、自らも会社の人間である以前に、一人の人間であることを意識しないとなあと反省を新たにしたのでした。

PC新調しました

ご無沙汰いたしております。

実は昨年の12月、PCを新調しました。で、それから旧PCからの移設とか色々と環境順応を行ってのメモリ増設とかやった結果、今のスペックは以下の通りです。

OS:Windows 10 Home 64ビット 正規版
CPU:Core i9-9900K
CPUクーラー:水冷CPUクーラー Corsair H110i
マザーボードASUS TUF Z390-PLUS GAMING
ケース:Fractal Design Define R6 Black
メモリ:Crucial DDR4-2666 16GB (8GBx2枚) +Crucial DDR-2666 Vengeance pro 白(16GBx2枚) 合計48GB
HDD:HDD 1TB(1000GB) SATA3 6Gbps
SSDSSD Samsung 970 EVO 500GB (m.2)
光学式ドライブ:DVDスーパーマルチ GH24NSD1 BL ブラック
グラフィック(カード):Geforce RTX2070 8GB
電源ユニット:KRPW-PT800W/92+ REV2.0 800W

【前のマシンから移植】
HDD:2TBx3 + 4TBx1 SATA3 6Gbps
SSD: Crucial M4-CT256M4SSD2

【追加】
S/PDIF Audio Optical and RCA Out Back Plate Cable Bracket(オーディオ用光端子ブラケット)
N.ORANIE PCIe 2.0 x 1 to SATA III 4ポート アダプタカード

というわけでなんだかんだで重量級のハイエンドですが、おおむね良好に動作しています。Cities: Skylinesやってるとメモリを20GBくらい消費してますので、今のスペックで結構快適です。

あと、前のIvy Bridge環境に比べると4K動画のエンコードが速くなりました。以前は30分の4K動画のエンコードに2時間くらいかかってましたが、今はCUDAをちゃんと使うと20分、遅くても40分くらいで終わります。これは大きいです。

その他のことは追々書いていきたいと思います。

Ace Combat 7を予約して買ったのだけど。

ace7.acecombat.jp

Ace Combat 7 Skies Unknownを予約して買って発売日から早速プレイし、昨日難易度easyでキャンペーンモードをようやくクリアした。

いやー、難易度高いです。これまでのナンバリングタイトルでは04、5、Zeroと一通りやってきて難易度aceでもSランク制覇してきた私ですが、今回はeasyでも苦労しっぱなし。何周かして高性能機体にパワーアップアイテムを着けまくらないとまともに遊べないように思います。洋ゲーのきっつい難易度に慣れた人じゃないとこれは耐えられないと思うよ……

で、片渕須直氏が手がけたシナリオですが、正直消化不良の感が否めません。超重要人物が物語序盤で割とあっさり死んでしまったり、僚機のキャラクター造形が薄っぺらでなおかつゲーム内では全く役立たずなため一緒に作戦行動をしているという感覚が希薄だったり。本作のコアとなるテーマがAIによるUAVの台頭に人間がどう立ち向かうかという話なので、敵方の主要登場人物も存在感が希薄です。04からZeroでは味方や敵方に出てくる味のあるおっさんたちが物語の骨格をがっちり固めてくれていたおかげで主人公の成長が分かる仕掛けになっていたのに、本作ではそれもありません。敵のメインキャラに凄腕パイロットの爺さんがいるんですが、これもUAVを前面に押し出すためかイマイチ活躍の場が与えられていないし。「人間vsAIのUAV」というシナリオを描きたいのであれば、この爺さんと主人公が最終面で共闘するとかの展開があれば燃えるんですが、そんなのもない。エースコンバット名物の超兵器も一つだけで、ゲームならではのトンデモ世界を飛んでいる楽しみと爽快感が足りません。

その他、今回から強化された気候要素も難易度を上げているだけで、ゲームとしての駆け引きの増加にはつながっていません。ガチのフライトシムならそういう要素も例えば着陸時に頭を使う楽しみが増えるのでいいんですが、フライトシューティングであるはずの本作では圧倒的多数として沸いて出てくる敵方の戦力をやっつけていく上での邪魔でしかありません。例えば5のステージ「8492」みたいに敵に追っかけられまくるステージなら例えば雲に隠れてロックオンを外すとかの駆け引きもあるんですが、本作では最終盤になるまでずーーーーーーーーーーっと地上の敵をプチプチ潰すだけの作業に追われる(しかもUAVに追尾されてミサイルをバカスカ撃たれまくる)というストレスフルな展開。こんなの何が面白いんですか? 攻撃ヘリのガンナーとか戦略爆撃機の爆撃手とかいろいろなポジションが楽しめる「アサルト・ホライズン」の方がまだバラエティの豊かさという観点からも楽しいです。

で、その他にも問題がまだあって、日本語版音声では「大公国」を「だいこうこく」と誤読してるのがそのままになってたり、フランス系の名前がつけられてるエルジア王国の名前の綴りに音韻上の間違いがあったり(コゼット王女はフランス語の綴りに依拠するなら、レ・ミゼラブルからも分かるとおり「Cosette」だし、名字に当たる部分も"D'Elise"(最初のEにはaccent aiguがつく)なら「デリーズ」 と表記すべきだし、そもそも国名のエルジアを名字に冠するならD'Eruseとかにしないとおかしいし、なんかそういう基本的な部分でのプルーフがいい加減なのもかなり目につく。1年くらい発売延期したのに、こういう基本的なところに間違い(といっていいだろう)が散見されるのもガッカリ要素だった。

ま、エースコンバットのナンバリングタイトルとして期待値を上げに上げていた自分が悪いんで、今後はVRモードとかをふらふら遊んだりしようかなと思います。キャンペーンモードは適当に気まぐれでやるレベルかなあ。

2016年フランス旅行(10): アミアンでウロウロする

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街中を適当にフラフラと歩きながらノートルダム大聖堂を目指す。市の中心部はそれほど大きくはないので別に急ぐ必要はない。私の歩く速度は大分遅いのだが、それでも10分も歩けばノートルダム大聖堂の辺りまでたどり着く。

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一番簡単なルートをたどっていくと聖堂の向かって右手の路地からこの広場に出る。さすがにでかいですね。

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ちなみにほぼ正面から見るとこんな感じです。パリのノートルダム同様フランボワイヤン様式の聖堂ですが、パリのそれよりは少しだけ完成したのが後らしく、そのあたりの違いもあるらしい。でも個々の彫刻は望遠鏡持ってこないと分からんよなあ。

で、聖堂に着いたときはちょうど昼のミサをやっておりました。私はキリスト者ではなくて一介の無神論者に過ぎないので、ミサの時に中に入って写真をバシバシ撮るのはさすがに遠慮している。というわけで昼のミサが終わるまで近所で昼食をとるべくレストランを探す。といっても駅前以外には余り店がなく、観光名所であるサン・ルー地区を除いては多くの場所が閑散としている。まあ仕方がないなあと言うことで聖堂のすぐそばにあったビストロに入り、「今日のランチ」と掲出されていた鶏のクスクスを食す。14ユーロ(食後のコーヒーは別)。なんか今回の旅行、クスクスばっか食ってるなあ……。

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ランチとはいえ、スープが冷えたら一応温かいのを補充してくれます。この手の観光地のメシ屋というのは往々にして酷くまずいことがフランスでも少なくないのだが、ここのお店はそれほど悪くなかった。ちみなに他にもビーフステーキなどを出しており、たぶん米国から来たとおぼしき一行はそれを注文していた。

腹ごしらえを終えたところで聖堂内部へと出発。

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彫刻類の詳しい説明については色々なガイドブックとかwikipediaフランス語版にあるのでそちらを参照していただくとして、とにかくデカい。床面積はパリのノートルダム大聖堂の2倍くらいあるらしい。また、聖堂完成後17世紀辺りまでかけて装飾された彫刻類も見事。ちなみに洗礼者ヨハネの首(と伝えられる)聖遺物などが見られる宝物殿はこの日はお休みで、見ることができなかった。残念。

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というわけで聖堂を一通り見学して、サン・ルー地区に移動。ちなみにサン・ルー地区から見るノートルダム大聖堂はこんな感じ。

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サン・ルー地区は川沿いにお洒落なカフェが立ち並ぶエリア。

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写真には写っていないが白鳥なども何羽かいて風景に彩りを添えている。それなりに結構テクテク歩いて疲れていたのと、せっかく観光に来たのでこの辺りでどっかのカフェにでも入ろうと思ったのだが、あろう事かほとんど満席。えー、ビールでも一杯引っかけて楽しい旅行気分インスタ映え(この旅行の頃はインスタはそんなにまだ流行ってませんでした)な写真と決め込もうと思ったのにケチーと思いつつ仕方がないので川縁の階段に腰掛けて川面を眺めて休憩。

あー、こういうとき一人旅というのは寂しいなあと思う。せめてグループ旅行であればとりあえず並ぶなりしてカフェに席を確保しておしゃべりとかして楽しいひとときを過ごせるんだろうけど、一人だとカフェでは休憩ついでにボーッとするのも限界があり、その他の休憩手段としては本を読むことなどがある程度。それも悪くはないのだが、寂しいときは寂しい。でも、それに耐えないと自由は得られないんだろうな。

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何はともあれ一息つけたので移動を開始。翌日は比較的早起きする必要があるため、パリへ戻るのも早めにしておかねばならないということで、駅へ向かう。

アミアンに着いたときには昼時というのにほとんど人がいなかったメインストリートも、この時間になると比較的人通りが増えてきて、一応の賑わいを取り戻している。

アミアンの駅に戻り、切符を調達。それによると次の電車は40分ほど後だったので、駅に付属のカフェにて時間を潰す。

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カフェつーてもどうも雰囲気からして夜間に酒を提供するのがメインぽい店で、店内は常連ぽい人々が数名おしゃべりをしているだけ。店の外ではマリワナをふかしている連中が何人かいたので用心のため店内でペリエを飲んでだらけていたのだが、フランスの都市は大体国鉄の駅前が場末でアレなのは仕方ないとはいえ、列車を待つときに気が抜けないのは疲れるよねえ……

一応列車は定刻通りに到着し、パリには6時過ぎに到着。昼にガッツリ食べたこともあり、北駅近くの小さいスーパーでビールと水とつまみ(ハム類)を買って部屋で食す。

翌日は荷物を抱えて(一応用心のためタクシーを頼んだ)移動で朝早くに起きなければならないため、荷造り。ビオの店でコキエットを3キロとか石鹸類をイヴロッシェで買いすぎたので荷物が既に重い……計画性のなさがすでに現れていて大いに反省する。

何とか荷物を取りまとめ、10時半に就寝。

2016年フランス旅行(9): アミアンに行く

【4日目】

パリ市内の汚い空気にもうんざりしたため、とりあえずどっか近くの街にでも観光に出かけるベと前日寝床で決定。

ここ10年くらいのパリ市内の空気の汚染は本当に酷いのだが、その最大の要因は自動車の排気ガスである。元々フランス人は自動車のメンテなんかせずにボロい自動車を使い続けることが多いのに加え、パリへの一極集中がこの20年くらいで一気に進んだこともあって、日中の主な通りはほとんど渋滞していると言ってもいい。しかもパリ市自体がセーヌ川の谷間の底にできているような都市であるため、排気ガスなどの汚い空気の出口は川沿いしかない。というわけで晴れた日はほぼ確実に光化学スモッグにやられる危険性を覚悟しておいた方がいいと思う。目薬とかは街歩きでは必須です。

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ということで9時頃ダラダラと歩いて北駅に移動。手許のガイドブックとにらめっこしつつ、時刻表を調べてどこに行こうかなと考える。そうすると40分くらいあとにアミアン行きの特急が出るとのことなので、それに乗ってアミアンのノートル大聖堂でも見に行くべと決定し、切符を購入。

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で、出発までの間時間を潰すことも兼ねて駅の写真を撮影。だが、北駅はユーロスターがイギリスに向けて発着することもあってテロ対策のせいなのか色々と警備がうるさい。「わーいタリスだー」とか言いながら写真をバチバチ撮っていたら警備員に怒られました。まあそもそも北駅は場所柄治安の余り良くない駅で、駅からタクシーに乗るときはちゃんとタクシー乗り場から乗らないとボッタクリに遭うかもよとあちこちに警告の貼り紙がしてあったりするような場所でもあるので、普通の人が夜間にここに来るのはやめておいた方がいいです、マジで。もしダイヤの都合で深夜の到着になっちゃったら走って近所のカフェにまず入ってそこで行動計画を立てるなどした方が安全です(そこでも置き引きには注意)。冗談じゃなくパリの治安は悪いんすよ……

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私もそういうわけで駅の近くのカフェで本を読んで時間を潰し、発車時刻が近づいたところで駅に移動。Corail Téoz(最近欧州の都市間特急の名称共通化に伴いIntercitéとかになったらしいが)に乗車し、ガラガラの車内にとりあえず一安心。

列車は定刻通り発車し、アミアンへ向けと走り出す。

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約一時間半後、アミアン駅に到着。列車を降りて最初に感じるのは、空気が綺麗だということに他ならない。深呼吸しても排ガスの臭いは全然しないし、何より空がきれいだ。

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駅前広場は最近の再開発によって建て直されたもの。駅の目の前にあるオーギュスト・ペレオーギュスト・ペレ - Wikipedia)の設計になる高層ビル(といっても15階建てくらい)と均衡が取れるようにモダニズムっぽいデザインになっている。そうは言ってもフランスのそこそこの都市の例に違わず駅前は場末感漂いまくりなのだけれど。

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で、これがペレの塔です。中は現在でも集合住宅として使われているとかで、市の観光局主催のガイドツアーとかでないとみることはできません。

ちょうど昼時だったので、どっかで腹ごしらえでもしてから観光すべしということでまずは街の目抜き通りをフラフラと歩きつつ、観光に出発。いやー、空気が清浄なのはいいことだ!

オーケストラ・ダスビダーニャ第25回定期演奏会に参加しました

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2月25日、東京芸術劇場で行われたオーケストラ・ダスビダーニャ第25回定期演奏会に参加しました。曲目などは以下の通り。

Д.Д.ショスタコーヴィチ作曲

「葬送と勝利の前奏曲」 〜スターリングラード戦の英雄の追悼に〜 作品130

バイオリン協奏曲第1番 作品77

交響曲第11番「1905年」 作品103

指揮者 長田雅人(常任指揮者)
ヴァイオリン独奏 荒井英治

ソリストアンコールもメインのアンコールもないにもかかわらず、終演が16時30分というボリュームありすぎのプログラムでした。前プロこそ3分前後と短いけど、コンチェルトは45分、メインは65分(しかも全部アタッカ)という体力をゴリゴリ削るようなプログラムでしたから……

個人的には数カ所で痛恨のミスをしたのが大変悔やまれます。理性で演奏をコントロールして「頭はクールに心は熱く」の演奏をせにゃいかんなあとこの歳になって再度痛感します。それを支えてくれるだけの技術があるわけではないし、今回の演奏会は何だかんだで色々とダイナミクスの制御とかよく分からないところにある譜めくり(そのために結構図画工作をした)とかで色々苦労したというのもありますし。

それでも第4楽章の最後のコーダ部分の盛り上がりは出色の完成度だったのではないかと思います。あの猛烈な集中度と熱気は、一度味わうともう普通の世界には戻れない醍醐味の一つです。そして虚空にカリヨンが鳴り響く間の静止も、フライングブラボー抑止の為もあったものの終止姿勢のまま固まっていたときの時間の流れは、オーケストラの醍醐味かくやあらんとも言うべきものだったように思います。
言うまでもなく、「葬送と勝利の前奏曲」でのバンダを伴った爆音はオケ全体の気合いをブーストするのに十分すぎるものだったと思いますし、荒井先生のヴァイオリン独奏はショスタコーヴィチの偉大さを現前せしめるほどの素晴らしいものでした。何食べたらあんなになるんだろう……(食べ物の問題ではない)

来年は交響曲第2番と6番をやる予定です。また色々と半年間準備と修業を積む必要がありそうです。

その時まで、ダスビダーニャ。

アイ・オー・データ機器の製品は二度と買わないし、買わないことを強く推奨する

10月の下旬に4K環境を試験的に構築する必要があり、アイ・オー・データ機器LCD-M4K282XB (http://www.iodata.jp/product/lcd/wide/lcd-m4k282xb/) を購入しました。TN液晶なんで画質とかはイマイチですが、どうせ仕事で使う以上せいぜいExcelくらいしか使わないし、値段もそれなりに安いので選んだという次第です。

ところが1ヶ月後に見事に壊れました。HDMI端子がひとつずつ壊れていって、3つある端子が2日のうちに壊れました。長い時間使っていると挙動が不安定になってきて端子が死ぬので、恐らく端子回りのコンデンサの品質が悪いのではないかと推定されます。

まあ、そこまではありうることなので仕方ないです。ただ、問題なのは、このほぼ初期不良品と言ってもいいような代物をアイ・オー・データ機器の修理センターに送る時の送料は、発払い、つまりユーザーが負担するということです。例えば私は今回このディスプレイを送るのに1700円ほどクロネコヤマトに払いましたが、これは初めての経験です。他のベンダーの機器を保証期間中に修理依頼したことも沢山ありましたが、ほぼ全て着払いでした。サイズの大きい商品の場合、運送業者が事前調整の上引き取りに来てくれました。例えばEIZOのディスプレイがバックライトの設計問題で無償修理となったときは、サポートセンターに電話したところ日時を調整して引き取り修理でした。

このアイ・オー・データ機器の制度の何が問題かというと、例え保証期間中であろうと、ユーザーがその機器をアイ・オー・データ機器に送る場合は常にユーザーが負担を強いられるということです。それが心的障壁となり発送を断念させるということもアイオーデータが考えているのであれば、これは非常に姑息かつ悪質な施策であるといわざるを得ません。

アイ・オー・データ機器NASの性能も悪かったしメディアプレーヤーのAVEL Linkplayerもバグだらけで使い物にならなかったなど、まあひどい製品ばかり掴まされてた記憶しかないので、もう二度とアイ・オー・データ機器の製品を買うことはないと思いますし、知人友人が同社の製品を買おうとすることになったら、全力で引き止めたいと思います。無論、これをお読みの方にも、アイ・オー・データ機器の製品は買うべきではないと忠告申し上げる次第です。

ブレードランナー 2049を観てきました(思いっきりネタバレしてますので未見の方は読まないでください)

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昨日、近所のシネコンにてブレードランナー2049を観てきました。予習として前日譚にあたる3本の短編は全部見てから当日に臨みました。

正直な感想を言うと、イマイチだなと思いました。独立した作品として評価しても、余り出来のいい作品とは思えません。お金がものすごい掛かっているのは分かるんですが。

まずい点を列挙するのは余り気が進まないのですが、まずやはり指摘しておくべきはストーリーが散漫で集中を欠くという点です。前作でカルト的人気の下地になった夢も希望もない公害で汚染されまくり&環境破壊で世界はメチャクチャという世界観を大事にしようとしすぎる余り、その世界観が表象していた現存在の悲惨という観点が抜け落ちていたように思われます。

そして、最大の問題は「人間が人間である本質とは何か」というこの作品のコアとなるテーマがストーリーに受肉していないということに尽きます。
無論、この問いに対する一応の答えは作中で語られるのですが、底が浅すぎて「おいおいそれじゃイスラム国のテロリストと変わらないやろ」とツッコミいれたくなるレベルのもので、これならピコ・デラ・ミランドラの『人間の尊厳について』を下敷きにしている『まおゆう』のメイド姉さんの演説の方が内容的には遥かに深いです。
どういうことかというと、「大義に殉じる」ための理念が崇高であるのは、それ自体として無条件に大義=理念が崇高だからではないということです。それに向かって個々の現実に生きる人間の無限の日々の努力が蓄積されていくからこそ、理念に向かって生きる人間はその意志の力を他の人々に示すわけです。その過程をすっ飛ばして「理念を持っているから我々は人間より偉い」という結論に飛びつくのは、いくら映画の中のお話としても乱暴すぎます。

そして、ドゥニ監督の人間観の底の浅さが露呈してしまっている代表的な場面が、囚われの身となったデッカードの前にレイチェル(の偽者)が登場するシーンです。「本物」のレイチェルは28年前に娘を出産して死んでるのですが、ネアンデル・ウォレス(彼の名前は現生人類に滅ぼされたネアンデルタール人を連想させ、それは新型レプリカントに人類が絶滅させられるであろうということを示唆している)が自分たちに味方した場合の褒賞として「復活」させてデッカードの前に登場させたレイチェルは、30年前のデッカードと初めて出会ったときのレイチェルなのです。

これは、ダメでしょ。

だって、デッカードはそこから28年間隠棲を続けており、レプリカントだけど年齢相応の老け方をしているわけです。だとすれば、再会を言祝ぐ相手は彼同様に老け込んだレイチェルでなければならない。そして2人は過ぎ去った年月のことの四方山話に花を咲かせ、再びどこかの人里離れた秘密の場所で静かな暮らしを送り、28年前に分かれた2人の時間を再びひとつのものとして進めることこそ、虚構とか本物であるとかのつまらない区分を超えての人間性の獲得あるいは回復になるはずなのです。レイチェルの28年分の四方山話の記憶は当然人工記憶になるでしょうが、パートナーと時を渡っていくというのは、そういうことです。離れていたにせよ、同じ時代として蓄積してきた時間の重みが、「人間」としてのこの世界への存在の痕跡を形成するのですから。単なる若いレイチェルを眺めたいなら、それこそ本作の主人公であるKの彼女であるジョイのように人工知能ARアバターにレイチェルのペルソナを移植すれば済む話であるのですから。

前作が映画史に残るダークSFの金字塔となったのにはいくつかの理由がありますが、そのうちで欠かすことのできないのは、やはり最後の場面でのロイ・バッテイ(ルトガー・ハウアー)の"Tears in rain"と呼ばれる詩情あふれる独白でしょう。この詩がもたらす圧倒的な余韻と感動は、同時にこの映画の核心に「人間とは何か」が明確に宿っていることを私達に残して行きます。本作では、このプロブレマティークを観客に叩き付ける「何か」が欠落していました。もしかすると今後のリテイクあるいはマイナーバージョンアップでこのあたりが変わっていくのかもしれませんが、今のままでは「ブレードランナー2049」は中途半端な作品だったと言わざるを得ません。

というわけで、最後に「まおゆう」のメイド姉さんの演説を一部引用しておきたいと思います。

私は、自信がありません。
「この身体の中には、卑しい農奴の血が流れているじゃないか」
「お前は所詮、虫けら同然の人間もどきじゃないか」と。

だからこそ、だとしても、私は、人間だと言い切らねばなりません。
なぜなら、自らをそう呼ぶことが、人間であることの最初の条件だと、私は思うからです。

(中略)

精霊さまはその奇跡を以って、人間に生命を与えてくださり、その大地の恵みを以って、財産を与えてくださり、その魂の欠片を以って、私達に自由を与えてくださいました。

― 自由?

そうです。
それは、よりよき行いをする自由、よりよきものになろうとする自由です。

精霊さまは完全なるよきものとして人間を作らずに、毎日少しずつ頑張るという自由を与えてくださいました。

それが、「喜び」だから。

だから、楽するために、手放したりしないで下さい。精霊さまの下さった贈り物は、たとえ王でも、たとえ教会であっても、侵すことのできない神聖な宝物なのです。

― 異端め!その口を閉じろ!

閉じません!私は人間です!

もう私は、その宝物を捨てたりしない!もう「虫」には戻らない!!

たとえその宝を持つのが、辛く、苦しくても、あの昏い微睡みには戻らない!