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sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

オーケストラ・ダスビダーニャ第24回演奏会に出ました

雑記

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先週3月12日、池袋の東京芸術劇場で行われたオーケストラ・ダスビダーニャ第24回定期演奏会に、第2ヴァイオリンで出演させていただきました。

曲目は以下の通りです。

Д.Д.ショスタコーヴィチ作曲
E.ドレッセルのオペラ《哀れなコロンブス》のための序曲とフィナーレ 作品23
交響曲第1番 作品10
交響曲第12番《1917年》 作品112
指揮者 長田雅人(常任指揮者)

それぞれがどういう曲であるのかは各種説明に譲るとします。「哀れなコロンブス」は音源自体も非常に少ないしスコアはショスタコーヴィチ全集にしか収録されていないという珍曲なのですが、かなり滑稽な節回しが面白い曲です。

そして交響曲第1番。室内楽をそのまま編成拡大したような緻密なアンサンブルと同時に、技術的にも結構厳しいところが要求される難曲で、自分自身の練習不足をかなり痛感させられる場面もリハーサルなどでは度々あり、本番直前の2週間は自宅で深夜ミュートを付けて練習するなどテスト直前の高校生のような為体でした。フィンガリングの研究と練習はもっときっちりやっとけばと反省しつつ、本番の出来は勿論いくつかのミスはあったのですが、集中力をギリギリまで高めて臨んだおかげでそれなりにはまとめられたと思います。ただ、グリッサンド山脈からのHighHighCは正直この音域での演奏をしばらくしてないこともあり辛かったなあと。13thポジションとか教則本でやるくらいしか普段出てこないですよ(苦笑)。
技術的なことはそのように色々あるのですが、この曲はアンサンブルの組み合わせが結構意地悪で、色々なパートに対する目配りを多用することが求められます。1stヴァイオリンを含む弦楽セクションは勿論のこと、後ろに座っている木管の皆さんと同じメロディーをやる箇所も沢山あるため、アイコンタクトやソロ奏者のフィンガリングを見つつアンサンブルを組み立てるなどの楽しみ(苦しみ)もあります。こういうことは他の曲でも勿論あるのですが、音圧控えめ、けれど鋭利で怜悧な演奏が求められるこの曲ではそういうアンサンブルの基本中の基本が出来ているかが厳しく求められます。

そんなわけで、この曲は体力もさることながら神経を大変に削られる曲でした。本番が終わるまで胃が刺すように痛かったです、はい。

 

休憩が明けてからはメインの交響曲第12番。ショスタコーヴィチ特有の内省的かつ晦渋な要素が一見希薄に見えることから、世間的な評価があまり高くないこの曲ですが、一つ一つの音符に沈殿する歴史の重みを鑑みるのならばそうとは全く言えないと思います。そして、本番ではオーケストラ全体の猛烈な集中力に巻き込まれるような形で私もパワーをかなり出して眼力を尽くした積もりです。第1楽章の弦楽セクションの一世突撃を思わせる猛烈なアレグロ、第3楽章の数え地獄と後半のシンコペーション、そして終楽章で要求されるダイナミクスの広い演奏など、色々と修羅場には事欠かないのですが、オスティナートを思わせる長大なフィナーレは当日のプログラムの解説にもあったように「赤の他人、流れる血は同じ赤」という理念を歌い上げる(一方でスターリンの恐怖も忘れない)盛り上がりは、オーケストラが一体になると味わうことのできる、あの時間の流れが歪むような充溢感をもたらしてくれたように思います。終止音を弾いたときには右手が痺れてました。

そしてアンコール。今日のこの日のために調達し、ステリハから座席の下に隠しておいた黄色のヘルメットを被り、モソロフの鉄工場!20年くらい前にロシアン・アヴァンギャルドの企画盤でこの曲を知ったときにはなんつーハチャメチャだ(褒め言葉)と思ったものですが、まさか自分がそのを演奏する機会が来ようとは!  特注品の鉄板も含めての大騒音の逸品で、演奏していて実に楽しかったです。起立斉奏は最後の終止音のタイミングが結構難しかったのですが、数度のリハーサルのおかげか本番だけはきっちり決めることが出来ました。

色々と技術的な反省点を挙げていけば沢山ありますし、それは次回に向けて活かしていかなければならないのですが、喪失感が尾を引くような余韻に浸れる演奏会にはなったと思います。これもひとえに来場していただいたお客様、そしてオーケストラの仲間達のおかげです。またこのような経験を持つことができるよう、努力を積み重ねていきたいと思います。

手足を切りとるのは、たしかに痛いでしょう。ですが、切り捨てられる手足から見れば、結局のところどんな涙も自己陶酔にすぎませんよ。(シェーンコップ)

雑記

かなり昔に在籍していた会社の元上司と、先日飲んだ。会うのは5年ぶりくらいだろうか。月日の流れるのは早いものだ。

その会社に在籍していた最後の一年間のことは、正直あまり思い出したくない種類のものではある。彼も含めた会社(といっても社員7名程度の小さい組織だが)の経営側の連中とそれに与する与太者約一名が寄ってたかって小生から仕事は取り上げるわ、2ヶ月掛けてまとめた大きなプロジェクトの商談の表彰をなぜか実際に業務を回しただけの人間に与えて小生はなしのつぶてだわ、とある事件に関して小生の見通しが正しかったにもかかわらず「お前はバカだ」と怒鳴りつけられるわ、まあ組織に脳を縛られた人間はここまで堕落するのかと色々観察させて貰ったという記憶がある。で、個人的にも愛想を尽かして転職することにしたのだが、転職が決まったことを知らせたときの元上司の邪な笑みを未だに忘れることは出来ない。要は、出て行ってくれて自分の立場も保全されて嬉しいわい、ということだったのだろう。彼には色々と世話になったことは否定できなかったのだが、彼のその表情を見たときに、彼の精神は私にとって最早軽蔑すべきものになっていたのを痛感したのだった。ああ、こういう人間になってはいけないよね、と。

月日は流れ、彼がしきりに会いたがっているという話を人づてに聞きつつも、それを承けることにしたのは、彼が社長(となっていたのだ、零細企業だが)をつとめる会社のグループ会社が先日倒産したという話を聞いたからだ。法律上の瑕疵はないとしても、同じビルで顔を合わせる仲間達が路頭に迷うことになったということに関する倫理的な問題について、どう考えるのか聞いてみようかと思ったのだ。もう1つは、かつて私に行われたような扱いをする人間に対するある種のニル・アドミラリ的感情が少しばかり私の内面にも定着するのを感じるようになってきたからでもある。言い換えるならば、愚かであることについて、私達がどのくらい自覚的であるのかを意識する時間を持つのも悪くはないのではないかと考えたからでもある。

5年ぶりに会った彼は、正直私の目には少しからず退歩しているように見受けられた。緩やかな縮小再生産傾向にあるとは言え、かの系列会社のように経営が悪化し始めてからわずか3年で倒産するような危機には今のところはないらしい。そのような変化の乏しい環境でビジネスを続けている彼の姿は、極めて変化の早い世界で仕事をせざるをえない、そして生き残るためには絶えざる情報と知識の獲得が絶対条件(このような環境は正直快適とはいいがたいのは事実だとしてもだ)である私の目からすれば、彼の置かれている環境と彼のあり方も含めて、あまりにも旧態依然を言祝ぎすぎているように見えたのだ。伝統工芸であればそれもまた羨むべきあり方だが、残念ながらそうではないところが悲しい。

系列会社の倒産を他人事のように語った彼は、私を退職に追い込んだ経緯について、形ばかりの謝罪をした。あの時は自分も辛かったのだと言い訳をしつつ。それを聴きながら、私の頭の中にはアイヴズの交響曲第4番が垂れ流しになっていた。利根川幸雄ではないが、本当に詫びるつもりがあるのなら、別の言い方もあるのではないか。少なくとも彼の言葉はその当時の彼の立場にかこつけて赦免を求めるだけのものに過ぎなかったように私の目には映った。

もしも、心底それが倫理に悖る行為であったと考えているのなら、私に謝罪する必要は究極的にいえば存在しない。むしろその罪を私とは関係のないところで可能な限り長い期間にわたって悔いることが必要なのだ。なぜなら私という個別性を捨象してこそ、行為の何が問題であったのかという反省は普遍性を持つからだ。そして、普遍性に至らない意識は結局の所自己の枠組みから外に出ることはない。つまり、その段階での謝罪は所詮我が身可愛さのものでしかないのだ。私が彼に凡庸な矮小さを感じたのは、その点だったと思う。あくまで個別性の枠組みで最終的な謝罪をしたいのであれば、同害反復を自らに課するしかない。

そして、そこまで他者に期待するのは、言うまでもなく過剰である。他者は自分ではないし、この審級は自らの道徳律として自らに課するからこそ価値を持つ。だから私も彼が今後どのような人生を送り何を考えるのかは全くどうでもいい話であるし、ゆえに未来永劫何らかのステートメントを求めようとも思わない。そして、何らかの緊急事態でも起こらない限り、彼にまた会おうとも思わない。会う必要性は私の人生には最早存在しないからだ。

彼と別れて、最寄り駅から陋屋へと戻る道すがら、「手足を切りとるのは、たしかに痛いでしょう。ですが、切り捨てられる手足から見れば、結局のところどんな涙も自己陶酔にすぎませんよ。自分は国のため私情を殺して筋をとおした、自分は何とかわいそうで、しかもりっぱな男なんだ、というわけですな」というワルター・フォン・シェーンコップの名台詞がどこからともなく聞こえてきたのは、恐らく気のせいだろう。

ものいへば くちびるさむし ばかばばあ いなだのあたまは もうそうだらけ

小児右翼観察日記

www.asahi.com

このファシストババア、しゃべればしゃべるほど頭が●かしいのがバレるので、回りとしては楽しくて仕方ないですが本人が客観的な自意識を持っているならやめた方がいいんじゃないでしょうか。
ちなみにこのファシストは「どういう教育をするかは教育機関の自由だ」と答えたそうですが、つーことは幸福の科学大学(大学設置申請が却下されて中川隆エルカンターレは大暴れ)みたいなスーパーハチャメチャでも自由なんでしょうか。普遍的理性をガダルカナル島の彼方へと放擲するならそれも自由だとは強弁できるでしょうが、それは別名「野蛮」と言います。

稲田朋美のような人間を私は「ファシスト」と呼びます。レッテル貼りとネトウヨは騒ぐかもしれませんが、それもまた言論の自由ですから~(鼻ホジ)

身元を隠すことの正当性とは

雑記

以前、福島第1核発電所事故の処理作業に当たる人たち向けのWebサイトの話を書いた。

福島第1核発電所―フリガナだらけのテキストが物語るもの - sadaijin_nanigashiの日記

sadaijin-nanigashi.hatenadiary.jp

これ。

色々と関係者への取材というか聞き取りを通じて、この仕事が日経BPコンサルティングという日経BP社の子会社が請け負っていることがほぼ明らかになった。受注金額は1億円くらいらしい。普通はWebサイトで1500万円程度、紙媒体で2000~3000万円程度なので、紙媒体を含めてもこの手の仕事としては破格の高値である。

現場で働く人々への情報提供のメディアが必要であることは私も強く同意する。特に、F1(福島第1核発電所の略称)の事故処理のように終わりが見えない毎日が続く場合、日々のニュースや食堂の献立がなにかという話は気を紛らわす数少ない手段になり得る。東電からn次下請けまでトータルで数千人もの人々がこれに携わっていることを考えれば、それは必要であることは否定しない。

だが、それを企画・出版するにおいて、なぜ編集主体の名前が極めてわかりにくい、あるいは伏せる形となっているのか。そこには偽善メディアの代名詞である雑誌「ソトコト」に東京電力が深く関わっていた、そして同誌ではある時点まで核発電について極めて肯定的な態度を取っていたことのような、ある種の卑怯さを感じるのだ。

もし、社として、東京電力やそれに関連する集団の福島第1核発電所事故に関する(少なくとも)倫理的責任への認識があるのならば、取るべき態度というのは二つ想定される。即ち、

1. 倫理的問題はない: 従ってその処理に関連する案件を受託し行うことも問題はない。

2. 倫理的問題はある: しかし現場作業員に対するメディア的必要性は中立的かつ明白であるので、それに関しての業務を受注することには倫理的問題はない

これらを満たさないのであれば、彼らはこのような案件を行う事に対し、何らかの倫理的問題があると考えているのではないのか。編集主体がほとんどのところ徹底的に隠蔽されている現実は、そのような疑義を提起させずにはおかない。

しかも、だ。私が入手した受注金額に関する情報が事実ならば、このような案件を引き受けることで日経BPの子会社が「核村」の仲間入りをしているのではないのかという疑念もさらに深めることになる。編集プロダクションが一般に引き受ける価格を明らかに逸脱している金銭の流れは、それが社会的には時として忌避される種のものであることも暗示している。少なくとも日経BPといえばカード加入者宛に雑誌の購読を求めるDMを送りつけてきたり、会社の雑誌ラックには結構な頻度で置いてあったりすることからも分かるようによく名前の知られた会社である以上、李下に冠を正さずということは、その子会社であっても求められるコードではないのだろうか。

もうこれは就任早々クビを要求していいのではないか

www.huffingtonpost.jp

イエーツ「司法長官は、合衆国憲法と関連する法令並びに自己の良心に基づいて、独立して職務を行う事になっている。私とて給料は惜しいが、ひとたび司法庁長官となった以上、ささやかな義務を果たさない訳にはいかない」

トランプ「裏切ったな、僕の気持ちを裏切ったな。リベラル派のクズどもと同じに裏切ったんだ」

金髪の小僧「立派な法の番人だ。そのような者が解任の憂き目に遭うからこそ、米国は滅びるのだ。その者を嘲ってはならぬ」

 トランプ「米国は滅びぬ。何度でも甦るさ! パックス・アメリカーナこそ、人類の夢だからだ!!アメリカ、ファースト、アメリカ、ファースト、アイアム、イチバーン、ジャパニーズとかチャイナとか、ゴバーン」

ハタから見ていて誰がバカかというのは言うまでもないですし、ネトウヨを側近に据えるとここまで政治が堕落するのだなあと思います。ね、デンデン太鼓持ちこと安倍晋三君。

ご無沙汰してます

新年あけましておめでとうございます。(遅い)

年末は引っ越しの準備などありなにかと忙しく、こちらの更新が出来ない状態でした。

一応引っ越しは終わり、まだ回りは段ボールの山ではあるのですが色々と余裕のある状態になりつつありますので、折を見て更新していきたいと思います。

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最近この手の多いなあ。

雑記

globe.asahi.com

エッフェル塔は本来、建設から20年で取り壊されるはずだったことをご存じだろうか。現代フランスの象徴が命拾いできたのは、電波塔としての役割もあったからだ。悲しいことに、当時の中央市場「レ・アール」はそれほど幸運ではなかった。19世紀中頃に鉄骨とガラスで築き上げられた優美な宮殿。画家のエミール・ゾラが「パリの胃袋」と称したそれは、1971年に跡形もなく壊されてしまった。

ゾラは作家です。ドレフュス事件での「我弾劾す」 は学校で習ったベ?

バイラル系サイトでもアダム・スミスの主著を『資本論』としてしまう間違いが堂々とそのままになってたし、校閲がまともに機能してるのか疑わしくなっちゃうケースが最近多いなあ……

 

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2016年フランス旅行(7): 美術館を回る

2016年フランス旅行

【3日目】

7時半頃起床。昨日結構あちこちを歩き回ったせいか、足がそれなりに疲れているようだ。ということで、改修中では入れないなどで今まで行ったことがなかった美術館にでも行くかなということで、まずは16区のマルモッタン・モネ美術館に行くことにする。色々調べてみると、東駅から同美術館のあるRanelagh駅の少し先まで一本で行く路線があるので、それに乗ることにする。ええ、パリの地下鉄は治安の問題とかもあってあんまり好きじゃないんですよ……

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ところが渋滞がひどいことこの上ない。うーん、留学していた当時はこんなに渋滞激しかったっけ?と思いながらずっと車窓の景色を眺めていたのだが、確かに主要な大通りは片っ端から車が数珠つなぎである。以前どこかの新聞記事でパリの大気汚染は悲劇的なレベルになっていて、冬などは最悪だと北京と同レベルだと読んだことがあるのだが、それも頷けるように感じる。そもそもがパリは河岸段丘の底に形成されている都市なので、排気ガスなどの重い空気は底に溜まりやすく、出口としてはセーヌ川経由しかない。そのせいなのかパリの高級住宅地というのは比較的海抜が高いところに集中している傾向にある。サンジェルマン・アン・レーとかヴェルサイユとかその好例だろう。また、比較的所得の低い層が多い18区でもモンマルトルの丘の上の方はスゲー高級住宅地でもある。

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やー、16区はさすがに街並みが美しいですねー。

というわけでマルモッタン・モネ美術館のそばに着いた。想定では30分くらいで着くと思っていたのだが、実際には1時間弱掛かった。パリ市の公共交通網は実質的にダイヤが存在しないのでこれでもいいんだろうけどね……

マルモッタン・モネ美術館はモネの『印象、日の出』が所蔵されていることで有名な美術館だが、過去パリを訪れた時には改修工事やら色々の理由で訪れることが叶わなかった美術館である。他にも『睡蓮』のコレクションがオランジュリー並みに充実していることでも有名でもある。

この日は、企画展としてモネとムンクホドラー(Ferdinand Hodler, 1853-1918)の比較展をやっていた。途中から内面性に極端に傾斜したムンク、あくまで自然の描写と肖像画にこだわったホドラーとモネを比較することで、三者の表現の違いをテーマ別にまとめたもの。雪の中の曖昧模糊とした様子の描写については、モネはやっぱうまいなーと感じる一方で、ムンクの太陽の強烈な描写やホドラーの山紫水明の描写の精神性などにも興味を惹かれた。

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というわけで常設展示も含めて一通り見学し終えたあとバス停で時間を潰しつつ、どこ行こうかなーと地図をめくる。そういやロダン美術館は何だかんだで行ってなかったなと気づき、次はロダン美術館に行くことにする。

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実はロダンの作品は結構な数が上野の国立西洋美術館に収蔵されてて、弟子のアントワーヌ・ブールデルの傑作『弓を引くヘラクレス』もあわせてロダンの主要作品は国内で見ることができるし、『作家ユゴー』とか『バルザック記念像』はオルセー美術館で見ることができるんだが、この美術館はロダンが住んでいたところをそのまま利用しているということもあり、彼が買い集めていた他の芸術家の作品(ゴッホの『タンギー爺さん』とか)も見ることができる。パリのピカソ美術館みたいな感じだ。

そんなわけで、『地獄の門』とか主要な作品は「あれコレはガキの時に上野で見たぞ」みたいのが多かったのだが、一室はカミーユ・クローデルの作品の展示のために割り当てられており、その部屋では精神を病む前の彼女の作品を見ることができた。

カミーユ・クローデルの作品群は技術の極めて高い水準での完成、構成のダイナミックさなど、多くの点で圧倒的な才能を感じさせるものだった。もちろんロダンとの関係によって触発されたところ大だったのかもしれないが、そうでなくともいずれ彼女の才能は世間を屈服させる程度には開花しただろうと思う。だが、作品からも垣間見られるあまりに鋭すぎるその感性は、早晩彼女の精神を蝕んでしまうものではなかったかとすら思う。女性芸術家というものが文学の世界でようやく少しずつ市民権を獲得していただけに過ぎなかったこの時代、彼女が芸術以外で様々な問題や圧力を受けることになるであろうことは容易に想像できるからだ。

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ロダン美術館の庭園を散歩。といってもなにかイベントを行うらしく庭園の大半は閉鎖されていた。主要作品は移動されていて見ることは可能だったものの、散歩の楽しみが削がれてしまったのは残念だ。

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美術館を出たあとは、足が少し疲れたので近くのカフェにて一休み。アンヴァリッドがすぐ近くにあり、クーポラ部分がのぞいていた。レモン入りのペリエを注文し、30分ほどダラダラしながらメールなどをスマートフォンで確認。うーん、交通量が多いせいか、空気が汚いなあ……

とりあえず最寄りの駅に移動することも兼ねて、のんびり移動再開。

2016年フランス旅行(6): ビュット・ショーモン公園

2016年フランス旅行

Canal bioでちょっと買い物をしたあとは、運河沿いのベンチで一休みする。静かに吹いてくる風が心地よい。

色々なことを思い出す。以前この界隈に住んでいた時、気晴らしに時々散歩に来たこと。運河の氾濫で浸水してすっかりダメになり閉鎖されてしまったEDF/GDFの営業所の担当者がこげぱんのボールペンを使うアニオタだったこと。運河沿いの広場で毎週水曜日と土曜日午前中に開かれているマルシェでは13時が近くなると食品の投げ売りが始まっており、特にデーツは猛烈な安値になっていたこと。随分昔のことばかりだが、場所に来れば思い出すものだ。

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ジャン・ジョレス通りを北上し、19区役所に到る。フランドル通り沿いのスーパー下町風情がウソのような綺麗なエリアである。そうは言っても以前は区役所からそう遠くないところに区営のコインシャワー場があった(今は改装されて公共体育館になっている)のだが、それなりに重厚な建物ばかりが建ち並ぶ風景は典型的なヨーロッパの街並みである。不動産屋の貼り出しを見ていると、結構な価格ばかりで驚く。

 

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そういえば、と思い出し、区役所のすぐそばにあるカフェ"Le Kaskad"に寄る。ここは普通の3倍はあろうかというシュークリームにバニラアイスを乗せてホットチョコソースをたっぷりとかけた「Choux "LK", glace vanille et sauce chocolat chaud」というデザートが名物なのだが、さすがにそんなカロリー祭りなものをぱくつく気力はなく、普通にテラスでレモンのディアボロを飲む。いくら慣れているとは言っても仏語でずっとコミュニケーションして周囲に注意を払いウロウロするというのはそれなりに疲れるんすよ……

カフェのお兄さんと少しおしゃべり。東アジア系の人間が少し南仏訛り(小生のフランス語は母音の崩れ方などに少々南仏の訛りがある)で話すのが珍しいのだろう。そして私が約15年前にフランドル通り沿いに住んでいたことを話すと、それじゃ懐かしいのも当たり前だよね、くつろいでいきなよと言う。お言葉に甘えて4ユーロそこそこのディアボロ一杯で1時間ほど本を読みながら休憩する。

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ビュット・ショーモン公園はパリ市内の公園としてはかなり大きい規模で、起伏の大きい地形を活かした緑豊かな公園である。人工の滝などもあり、週末には子供向けの人形劇場や綿菓子の屋台などが出ることもあり、19区民はもちろん近隣の区の人々にとっても憩いの場所となっている。平日は芝生の上で昼間っからビールとかワインとか飲んだくれてる連中も少なからずいるが、それはそれということだ。そして滝のある洞窟は微妙に臭かったりするのも、まあそういうことだし、仕方なかろう。

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この公園が起伏に富んでいることは先にも書いたが、その一つのハイライトは一番高いところにある見晴台である。見晴台からはサクレ・クール寺院からフランドル通り沿いの高層マンション群まで見渡せる、隠れた名所である。

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区役所前から公園に入る場合、見晴台に到る一番近いルートは吊り橋を渡る道なのだが、吊り橋の上からは池でくつろぐ鴨やアヒルの姿を眺めることができる。以前の旅行でこの公園に来た時は、池のほとりで鳥にえさをやるセルビア人と仲良くなり、彼がここに来た理由や普段の暮らしぶりについて色々とたわいない話をした。穏やかな風景は人を孤独の緊張から解き放し、他者と結びつけるものなのかもしれない。

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見晴台に上り、あたりを眺める。落書きだらけなのはあまり変わってはいないが、それでも一応クリーニングは行われたようだ。その他、落石などに備えての補修工事も行われている。

見晴台は人気スポットでもあるので、交代交代で一等席に陣取る。

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この通り、見晴台の左側からはサクレ・クール寺院が見える。モンマルトルの丘を眺めるならばギャルリー・ラファイエットの屋上カフェテリアが比較的有名なスポットだが、ここからの眺めもそれなりに捨てがたい。遠くに、そして周囲の街並みも含めてしっかりと眺められるこの場所は、パリ市内での私のお気に入りの場所の一つでもある。東京の超高層ビル群に疲れた目には、このような一応は人間的な高さに収まる建物が続く街並みはそれなりに一応心安らぐものだ(だからデファンス地区は私は好きではない)。

ベンチに腰掛けて、色々なことがあったこの2ヶ月ほどのことを思い出す。「ひとを罰しようという衝動の強い人間たちには、なべて信頼を置くな!」というのはあまりにも有名なニーチェの言葉だが、そういう人々に信頼を置かないのはもちろん当たり前だとしても、常に囲繞されて一日の長い時間を過ごすというのはそれだけで精神を蝕むものだ。これから自分がどういう人生を迷うことになるのかはよく分からないけれども、できることならばそのような人々からは距離を置くことのできるような環境に身を置きたい。たとえ待遇など諸々の面が満足のいくものでなかったとしても、働くことで心を病んでしまっては元も子もないからだ。

そして、15年間で、自分が随分遠いところへ来てしまったなあと思う。今も私は決して経済的に裕福ではないけれども、それでも常識的な価格の本であればある程度は自由に買える程度の所得は得ているし、獲得してきた知識や知見で人から質問を受けたり頼られたりすることも色々経験してきた。

それに比べれば、15年前の私は、迷走していた。他者とそのような関係を築くことも叶わず、貧しいまま日々本を読み論文の準備を進めるだけの日々だった。
それでも、それはそれなりに楽しかったと今では思う。それは記憶の美化でしかないのかもしれないが、好きな時に逍遙する自由があるというのは、今の私からすれば有給でも取らない限り無理な話だからだ。

そうこうしているうちに、大分風が冷たくなってきた。19区役所前からバスに乗り、ホテルまで戻る。買い物したものを整理した後、夕食は近所の中華料理屋で安い定食(といっても10ユーロ)。それなりにおいしい。

メールなどを処理し、11時頃就寝。

隗より始めよ

雑記

business.nikkeibp.co.jp

筆者の小田嶋氏には何の関係もないけど、日経BPの人から夜中の1時とか2時とかのタイムスタンプでメールが来たこと、何回もあるよ。

こういうコラムを載せるなら、先ず自社の労務環境の改善を図るべきなんじゃないかな。

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