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sadaijin_nanigashiの日記

虚無からの投壜通信

日々のあれやこれやをいろいろと。

もうこれは就任早々クビを要求していいのではないか

www.huffingtonpost.jp

イエーツ「司法長官は、合衆国憲法と関連する法令並びに自己の良心に基づいて、独立して職務を行う事になっている。私とて給料は惜しいが、ひとたび司法庁長官となった以上、ささやかな義務を果たさない訳にはいかない」

トランプ「裏切ったな、僕の気持ちを裏切ったな。リベラル派のクズどもと同じに裏切ったんだ」

金髪の小僧「立派な法の番人だ。そのような者が解任の憂き目に遭うからこそ、米国は滅びるのだ。その者を嘲ってはならぬ」

 トランプ「米国は滅びぬ。何度でも甦るさ! パックス・アメリカーナこそ、人類の夢だからだ!!アメリカ、ファースト、アメリカ、ファースト、アイアム、イチバーン、ジャパニーズとかチャイナとか、ゴバーン」

ハタから見ていて誰がバカかというのは言うまでもないですし、ネトウヨを側近に据えるとここまで政治が堕落するのだなあと思います。ね、デンデン太鼓持ちこと安倍晋三君。

ご無沙汰してます

新年あけましておめでとうございます。(遅い)

年末は引っ越しの準備などありなにかと忙しく、こちらの更新が出来ない状態でした。

一応引っ越しは終わり、まだ回りは段ボールの山ではあるのですが色々と余裕のある状態になりつつありますので、折を見て更新していきたいと思います。

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最近この手の多いなあ。

雑記

globe.asahi.com

エッフェル塔は本来、建設から20年で取り壊されるはずだったことをご存じだろうか。現代フランスの象徴が命拾いできたのは、電波塔としての役割もあったからだ。悲しいことに、当時の中央市場「レ・アール」はそれほど幸運ではなかった。19世紀中頃に鉄骨とガラスで築き上げられた優美な宮殿。画家のエミール・ゾラが「パリの胃袋」と称したそれは、1971年に跡形もなく壊されてしまった。

ゾラは作家です。ドレフュス事件での「我弾劾す」 は学校で習ったベ?

バイラル系サイトでもアダム・スミスの主著を『資本論』としてしまう間違いが堂々とそのままになってたし、校閲がまともに機能してるのか疑わしくなっちゃうケースが最近多いなあ……

 

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2016年フランス旅行(7): 美術館を回る

2016年フランス旅行

【3日目】

7時半頃起床。昨日結構あちこちを歩き回ったせいか、足がそれなりに疲れているようだ。ということで、改修中では入れないなどで今まで行ったことがなかった美術館にでも行くかなということで、まずは16区のマルモッタン・モネ美術館に行くことにする。色々調べてみると、東駅から同美術館のあるRanelagh駅の少し先まで一本で行く路線があるので、それに乗ることにする。ええ、パリの地下鉄は治安の問題とかもあってあんまり好きじゃないんですよ……

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ところが渋滞がひどいことこの上ない。うーん、留学していた当時はこんなに渋滞激しかったっけ?と思いながらずっと車窓の景色を眺めていたのだが、確かに主要な大通りは片っ端から車が数珠つなぎである。以前どこかの新聞記事でパリの大気汚染は悲劇的なレベルになっていて、冬などは最悪だと北京と同レベルだと読んだことがあるのだが、それも頷けるように感じる。そもそもがパリは河岸段丘の底に形成されている都市なので、排気ガスなどの重い空気は底に溜まりやすく、出口としてはセーヌ川経由しかない。そのせいなのかパリの高級住宅地というのは比較的海抜が高いところに集中している傾向にある。サンジェルマン・アン・レーとかヴェルサイユとかその好例だろう。また、比較的所得の低い層が多い18区でもモンマルトルの丘の上の方はスゲー高級住宅地でもある。

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やー、16区はさすがに街並みが美しいですねー。

というわけでマルモッタン・モネ美術館のそばに着いた。想定では30分くらいで着くと思っていたのだが、実際には1時間弱掛かった。パリ市の公共交通網は実質的にダイヤが存在しないのでこれでもいいんだろうけどね……

マルモッタン・モネ美術館はモネの『印象、日の出』が所蔵されていることで有名な美術館だが、過去パリを訪れた時には改修工事やら色々の理由で訪れることが叶わなかった美術館である。他にも『睡蓮』のコレクションがオランジュリー並みに充実していることでも有名でもある。

この日は、企画展としてモネとムンクホドラー(Ferdinand Hodler, 1853-1918)の比較展をやっていた。途中から内面性に極端に傾斜したムンク、あくまで自然の描写と肖像画にこだわったホドラーとモネを比較することで、三者の表現の違いをテーマ別にまとめたもの。雪の中の曖昧模糊とした様子の描写については、モネはやっぱうまいなーと感じる一方で、ムンクの太陽の強烈な描写やホドラーの山紫水明の描写の精神性などにも興味を惹かれた。

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というわけで常設展示も含めて一通り見学し終えたあとバス停で時間を潰しつつ、どこ行こうかなーと地図をめくる。そういやロダン美術館は何だかんだで行ってなかったなと気づき、次はロダン美術館に行くことにする。

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実はロダンの作品は結構な数が上野の国立西洋美術館に収蔵されてて、弟子のアントワーヌ・ブールデルの傑作『弓を引くヘラクレス』もあわせてロダンの主要作品は国内で見ることができるし、『作家ユゴー』とか『バルザック記念像』はオルセー美術館で見ることができるんだが、この美術館はロダンが住んでいたところをそのまま利用しているということもあり、彼が買い集めていた他の芸術家の作品(ゴッホの『タンギー爺さん』とか)も見ることができる。パリのピカソ美術館みたいな感じだ。

そんなわけで、『地獄の門』とか主要な作品は「あれコレはガキの時に上野で見たぞ」みたいのが多かったのだが、一室はカミーユ・クローデルの作品の展示のために割り当てられており、その部屋では精神を病む前の彼女の作品を見ることができた。

カミーユ・クローデルの作品群は技術の極めて高い水準での完成、構成のダイナミックさなど、多くの点で圧倒的な才能を感じさせるものだった。もちろんロダンとの関係によって触発されたところ大だったのかもしれないが、そうでなくともいずれ彼女の才能は世間を屈服させる程度には開花しただろうと思う。だが、作品からも垣間見られるあまりに鋭すぎるその感性は、早晩彼女の精神を蝕んでしまうものではなかったかとすら思う。女性芸術家というものが文学の世界でようやく少しずつ市民権を獲得していただけに過ぎなかったこの時代、彼女が芸術以外で様々な問題や圧力を受けることになるであろうことは容易に想像できるからだ。

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ロダン美術館の庭園を散歩。といってもなにかイベントを行うらしく庭園の大半は閉鎖されていた。主要作品は移動されていて見ることは可能だったものの、散歩の楽しみが削がれてしまったのは残念だ。

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美術館を出たあとは、足が少し疲れたので近くのカフェにて一休み。アンヴァリッドがすぐ近くにあり、クーポラ部分がのぞいていた。レモン入りのペリエを注文し、30分ほどダラダラしながらメールなどをスマートフォンで確認。うーん、交通量が多いせいか、空気が汚いなあ……

とりあえず最寄りの駅に移動することも兼ねて、のんびり移動再開。

2016年フランス旅行(6): ビュット・ショーモン公園

2016年フランス旅行

Canal bioでちょっと買い物をしたあとは、運河沿いのベンチで一休みする。静かに吹いてくる風が心地よい。

色々なことを思い出す。以前この界隈に住んでいた時、気晴らしに時々散歩に来たこと。運河の氾濫で浸水してすっかりダメになり閉鎖されてしまったEDF/GDFの営業所の担当者がこげぱんのボールペンを使うアニオタだったこと。運河沿いの広場で毎週水曜日と土曜日午前中に開かれているマルシェでは13時が近くなると食品の投げ売りが始まっており、特にデーツは猛烈な安値になっていたこと。随分昔のことばかりだが、場所に来れば思い出すものだ。

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ジャン・ジョレス通りを北上し、19区役所に到る。フランドル通り沿いのスーパー下町風情がウソのような綺麗なエリアである。そうは言っても以前は区役所からそう遠くないところに区営のコインシャワー場があった(今は改装されて公共体育館になっている)のだが、それなりに重厚な建物ばかりが建ち並ぶ風景は典型的なヨーロッパの街並みである。不動産屋の貼り出しを見ていると、結構な価格ばかりで驚く。

 

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そういえば、と思い出し、区役所のすぐそばにあるカフェ"Le Kaskad"に寄る。ここは普通の3倍はあろうかというシュークリームにバニラアイスを乗せてホットチョコソースをたっぷりとかけた「Choux "LK", glace vanille et sauce chocolat chaud」というデザートが名物なのだが、さすがにそんなカロリー祭りなものをぱくつく気力はなく、普通にテラスでレモンのディアボロを飲む。いくら慣れているとは言っても仏語でずっとコミュニケーションして周囲に注意を払いウロウロするというのはそれなりに疲れるんすよ……

カフェのお兄さんと少しおしゃべり。東アジア系の人間が少し南仏訛り(小生のフランス語は母音の崩れ方などに少々南仏の訛りがある)で話すのが珍しいのだろう。そして私が約15年前にフランドル通り沿いに住んでいたことを話すと、それじゃ懐かしいのも当たり前だよね、くつろいでいきなよと言う。お言葉に甘えて4ユーロそこそこのディアボロ一杯で1時間ほど本を読みながら休憩する。

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ビュット・ショーモン公園はパリ市内の公園としてはかなり大きい規模で、起伏の大きい地形を活かした緑豊かな公園である。人工の滝などもあり、週末には子供向けの人形劇場や綿菓子の屋台などが出ることもあり、19区民はもちろん近隣の区の人々にとっても憩いの場所となっている。平日は芝生の上で昼間っからビールとかワインとか飲んだくれてる連中も少なからずいるが、それはそれということだ。そして滝のある洞窟は微妙に臭かったりするのも、まあそういうことだし、仕方なかろう。

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この公園が起伏に富んでいることは先にも書いたが、その一つのハイライトは一番高いところにある見晴台である。見晴台からはサクレ・クール寺院からフランドル通り沿いの高層マンション群まで見渡せる、隠れた名所である。

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区役所前から公園に入る場合、見晴台に到る一番近いルートは吊り橋を渡る道なのだが、吊り橋の上からは池でくつろぐ鴨やアヒルの姿を眺めることができる。以前の旅行でこの公園に来た時は、池のほとりで鳥にえさをやるセルビア人と仲良くなり、彼がここに来た理由や普段の暮らしぶりについて色々とたわいない話をした。穏やかな風景は人を孤独の緊張から解き放し、他者と結びつけるものなのかもしれない。

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見晴台に上り、あたりを眺める。落書きだらけなのはあまり変わってはいないが、それでも一応クリーニングは行われたようだ。その他、落石などに備えての補修工事も行われている。

見晴台は人気スポットでもあるので、交代交代で一等席に陣取る。

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この通り、見晴台の左側からはサクレ・クール寺院が見える。モンマルトルの丘を眺めるならばギャルリー・ラファイエットの屋上カフェテリアが比較的有名なスポットだが、ここからの眺めもそれなりに捨てがたい。遠くに、そして周囲の街並みも含めてしっかりと眺められるこの場所は、パリ市内での私のお気に入りの場所の一つでもある。東京の超高層ビル群に疲れた目には、このような一応は人間的な高さに収まる建物が続く街並みはそれなりに一応心安らぐものだ(だからデファンス地区は私は好きではない)。

ベンチに腰掛けて、色々なことがあったこの2ヶ月ほどのことを思い出す。「ひとを罰しようという衝動の強い人間たちには、なべて信頼を置くな!」というのはあまりにも有名なニーチェの言葉だが、そういう人々に信頼を置かないのはもちろん当たり前だとしても、常に囲繞されて一日の長い時間を過ごすというのはそれだけで精神を蝕むものだ。これから自分がどういう人生を迷うことになるのかはよく分からないけれども、できることならばそのような人々からは距離を置くことのできるような環境に身を置きたい。たとえ待遇など諸々の面が満足のいくものでなかったとしても、働くことで心を病んでしまっては元も子もないからだ。

そして、15年間で、自分が随分遠いところへ来てしまったなあと思う。今も私は決して経済的に裕福ではないけれども、それでも常識的な価格の本であればある程度は自由に買える程度の所得は得ているし、獲得してきた知識や知見で人から質問を受けたり頼られたりすることも色々経験してきた。

それに比べれば、15年前の私は、迷走していた。他者とそのような関係を築くことも叶わず、貧しいまま日々本を読み論文の準備を進めるだけの日々だった。
それでも、それはそれなりに楽しかったと今では思う。それは記憶の美化でしかないのかもしれないが、好きな時に逍遙する自由があるというのは、今の私からすれば有給でも取らない限り無理な話だからだ。

そうこうしているうちに、大分風が冷たくなってきた。19区役所前からバスに乗り、ホテルまで戻る。買い物したものを整理した後、夕食は近所の中華料理屋で安い定食(といっても10ユーロ)。それなりにおいしい。

メールなどを処理し、11時頃就寝。

隗より始めよ

雑記

business.nikkeibp.co.jp

筆者の小田嶋氏には何の関係もないけど、日経BPの人から夜中の1時とか2時とかのタイムスタンプでメールが来たこと、何回もあるよ。

こういうコラムを載せるなら、先ず自社の労務環境の改善を図るべきなんじゃないかな。

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2016年フランス旅行(5): フランドルの道

2016年フランス旅行

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午後は北駅からバス54号線に乗ってフランドル通りへ。この通りには十数年前私がフランスに留学していた折に住んでいたアパルトマンがある。住んでいた当時にもひったくりに遭ったし、色々な意味で治安のいい場所ではないのだが、有色人種が数多く住むこの界隈では東洋人であることで奇異の眼で見られることはあまりない。無論無教養な一部の連中からの人種差別は少なからず経験はするのだが、それでもフランス国民戦線のような極右が強い地域で受ける刺すような視線に比べればまだずっとマシだろう。言われたら、やり返せばいいのだから。

 

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フランドル通り(avenue de Flandre)は以前はフランドル街(rue de Flandre)という下位の名称で呼ばれていた。しかし私がフランドル通りのアパルトマンに引っ越した少し前、中央の歩道帯に木が植えられると同時に通りの名前も現在のものに昇格した。
当時は木が植えられた直後ということもあり、街路樹はとりあえず植わっていますというものでしかない貧弱なものだったのだが、十数年の月日は街路樹を立派な憩いの場に成長させた。9月にしては比較的強い日差しのなか、街路樹の下にあるベンチで一休みするのは実に心地よいものだった。
もちろん、歳月が流れるということは街の様子が変貌することも意味する。お総菜を買うことの多かったCasinoというスーパーは売り場面積が半分になっていた。日曜大工道具を買っていたBHVはドイツ系のLiDLに替わっていた。また、いくつかの店は潰れたり店名が変わったりしていた。
だが、そこは街の変化の速度が遅いパリである。私が住んでいた時も平均1時間待ちで評判の悪かった郵便局の混雑は相変わらずのままだったし、界隈で一番評判の良かったパン屋や、私がよく肉を買っていたハラル肉屋も健在であった。また、中華系移民が経営する食材屋も数件営業を続けており、数年経てば店があらかた入れ替わる小生の日本の実家の近所よりもはるかに懐かしさを留めている界隈であった。
場所と自分との結びつきは、このような過去の風景との連続性にも求められるように私は思う。長い年月を経ても変わらない風景の場所に立つことが叶うのであれば、私はそこにかつて自分がいたのだという内的な意味での時間の連続性を再生させることができるだろう。しかし、あまりにも早く街の風景が変わる東京のような場所では、久しぶりに戻った場所はほぼ例外なくその姿を大きく変えている。それは街の活力でもあるのだろうが、私の記憶の流れの中には、ちりぢりに、そして小間切れになった、連続性のない個別の記憶の断片が残るだけになってしまう。このとき、私は自分がどこから来て、どこに行こうとしているのか、全く見当が付かなくなるという混乱に陥る。日本で時々私が味わう自己の現在性の欠落に伴う不安は、このような経験と恐らく無関係ではないと思う。

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フランドル通りから運河沿いに歩みを進める。ウルク・ヴィレット運河はパリの郊外の諸都市も結ぶ運河で、年に一度の無料遊覧船では運河から郊外の諸都市(所謂「赤い郊外」)がいかに荒廃しているのかをまざまざと見せつけられるのだが、少なくともパリ市内に限っては以前よりもオシャレに改装されているようだ。
それでも、運河沿いの広場や公園の一部は鉄柵で封鎖されている。これは工事に伴うものではなく、シリアやアフリカからの移民・難民ホームレスがそこで屯したりテント村を作ることを防ぐためのものである。飲料には適さないけれども水はそこにあるから、とりあえずシャワー代わりに使うのには問題ないし、公園の砂地はテント用のペグを打ち込むのにもってこいなのだ。
両者のそれぞれの対立する理由と事情は分からないではない。だが、それを見ると、何とも暗澹たる気持ちになるのも事実だ。

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橋を渡る。ポン・デ・ザールでもないのに南京錠が数多く取り付けられている。恋愛で頭がアレになっている人に指導してもきかないのだろうけれども、誰がこういう【自主検閲】なの始めたんだろう。別れたら自動解錠……したら意味ないか。

橋の向こうは19区でも比較的高級な地区に入る。特にジャン・ジョレス通りから区役所までの一帯は、フランドル通りの19区とは全く異なる所謂「パリらしい」街の装いを見せる。私が洗剤(フランスの通常の洗剤はあまりにも強く、小生の場合肌が荒れまくるのでこういうお店で売られているエコベールやビオトップなどを使うしかなかった)を当時主に購入していたBioのスーパー「Canal Bio」があるのもこのエリアである。土産物の調達も兼ねて少々買い物をする。なお、ここのショッピングバッグは十数年前に小生が購入したものとほとんどデザインが変わってなかった。レジにいた若いお兄さんにその旨を話すと、かなり驚いていた。

2016年フランス旅行(4): 切符の引き取りとNaviGoへのチャージ、買い物

2016年フランス旅行

 

【2日目】

7時頃起床。朝食を済ませ、あらかじめWebで予約しておいたこれからの移動の切符を東駅に引き取りに行く。前の晩、ホテル界隈をウロウロしていたら、以前はあった国鉄のトラベルセンターが閉鎖されていたので、少しだけ遠い(といっても100mほどだが)東駅の切符自販機で切符を引き取ることにしたのだ。

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朝の東駅。TGV東線が開通するまではベルシー駅同様の単なるローカル線のターミナル駅で、ずいぶんと鄙びた場末の駅だったのだが*1TGVの開通に伴い大きく改装され、今では構内にショッピング街もあるなど、ずいぶんと小綺麗になった。つぎはぎ拡張を繰り返してきて初めての人には不親切極まりないリヨン駅、治安がやはり悪い北駅、階層構造が何だかんだでわかりにくくて駅の回りの治安が悪いモンパルナス駅と比べると、改装が新しい分だけ東駅が一番シンプルで分かりやすいように思う。

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駅のゲート内では、森山大道の写真を展示していた。今年の夏にルーヴル美術館で彼の回顧展が開かれたことに伴うものだと思うが、パネル展示だから汚損しても取り替えが利くし、スペースの活用にもなっていいのではないだろうか。

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地下鉄の駅ではタッチ式IC乗車券のNaviGoをチャージする。ゾーン指定は1-2だけでいいかなーと思いつつパネルを操作したところ、ゾーン1-5のものしか選べない。アレ?と思って窓口の人に尋ねたところ、2016年の頭にゾーン統合がなされ、全エリア統一運賃になったのだとのこと。地域圏の統合に伴うものなのか、切符を買うのに戸惑っている人を助けるフリしてスリを働く連中を排除するためなのかは分からないが、NaviGoをパリで使う方はとりあえず注意してください。

大分設備が良くなったとはいえ、ヨーロッパのホテルに備え付けの石鹸はやはり小生の肌には厳しすぎるので、東駅地下口内にあるイヴ・ロッシェで石鹸などを買う。天然由来成分に基づくコスメの割には値段も某ロクシタンのようには高くないので、フランスに行く時には土産も兼ねてここで石鹸やシャンプーなどを買うようにしている。イヴ・ロッシェは日本にもかつては進出計画があったらしいのだが残念ながら破談となっており、 現在日本の近所で最も近い支店は上海らしい。でも上海だと所謂おフランス価格なんだろうな……。ロクシタンもフランスでは「ちょっと高い」程度の価格で、日本のお店みたいに石鹸ひとつで発狂レベルの値段ではないから。

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地下鉄で移動し、デパート街でこのあとの旅などで着る衣類や靴などを調達。パブロによる免税手続きが一般化したため、出国時に購入品が実質的に未必要である必要はなくなったのは大きい。本当はチケットを提示した上で税関係官に書類を提出してスタンプをもらわないといけないのだが、e-チケットになってこの方そんな面倒なことはしなくなった。

それにしても、昨年の冬にはデパート街でその数に驚愕した中国人観光客だが、今回は拍子抜けするほど姿が少ない。テロなどの影響でパリを訪れる中国人観光客は激減したとニュースで聞いたが、確かにそのようだ。だが、日本人も少なく、以前は15分待ちだったギャルリー・ラファイエットの日本人向け免税カウンターはすんなりと待ち時間ゼロだった。そのくらい観光客が減っているのか……

買い物したものをまとめて移動し、東駅まで戻る。

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昼食は東駅近くのケバブ屋。クスクスもかなり安く、写真のメニューで9.5ユーロ。野菜のみのクスクスであればもちろんもっと安い。飲み物は水道水を冷やしてもらったもので十分。空気が乾燥しているのでコーラもおいしいが、クスクスには合わないし。

で、荷物をホテルに一旦置いたあと、近所の携帯屋へ。日本を出る前に購入したSIMフリースマホ、ZTE V580(

http://www.ztemobile.jp/products/v580.html )を持参し、適当なSIMカードがないかを尋ねる。

結果、比較的安かったのはLycamobile というMVNOキャリア。身分証明書もなくわりとあっさり開通。ただ、データ通信に関する各種格安プランを購入するためにはオンラインでユーザー登録をする必要があるため、色々と一手間かかる。小生の場合は携帯屋の主(インド人)が色々と手伝ってくれたおかげで、相当に楽に済んだ。

アクティベートされたスマホをカメラバッグに入れ、午後の行動を開始する。

*1:なお、その頃の様子は映画『アメリ』で観ることができる

長谷川豊氏の愚昧さはもちろんだとしても

小児右翼観察日記 雑記

フランス旅行記は明日また続きを書く予定です。

さて、巷間では長谷川豊氏のブログに端を発する一連の問題が少なからず囂しいようだ。結果彼はテレビのレギュラー出演枠を全て失ったそうで、かなり前から彼の発言がどんどん過激化し、かつ思慮を欠くものになっていったのを見ていた側としてはその帰結は当然のものと思えなくもないのだが、ここまでで彼が連発していた「自己責任」という卑語は、改めてある種の問題を私たちに提起しているように感じられる。

それは、「自己とは何か」というより根本的な問いである。即ち、日頃私たちが行う行動のどこまでが、徹頭徹尾自己という単一の存在によって決定されているのかということを、「自己責任」という卑語で思考停止することなく、主体あるいは個人を囲繞する構造の点からもっと考えるべきではないのかということをもう一度考えてみる必要があるのではないかと私は思うのだ。

例えば、米国では貧困層になればなるほど肥満の比率が高まることがよく知られている。これは貧しくなる=太るという因果関係を直接的に意味するものではないが、食費に対する支出余地の減少が、結果として栄養バランスを無視した食事に人々を至らしめているという事が指摘されている。即ち、米国の貧しい消費者は自ら進んで積極的に肥満になったのではなく、経済構造がもたらす一つの消極的帰結として肥満に陥りがちだということである。

従って、このとき貧困な肥満層がマクドナルドの安いハンバーガーをぱくついていることを論って「お前の日頃の生活が怠惰だからだ」とさも現実主義者の冷徹さを維持しているかの如く罵倒するのは、自己決定に対する構造的問題の半分しか見ていないことになる。その裏側には、常に社会的・経済的構造が個人を使嗾しているという真実を見ようとしなければ、そのような罵倒は現実主義に名を借りた表層主義的な反知性主義と言わねばならない。

長谷川氏が今回の問題で、ともすると優生学的思想に陥りがちな自らの知的退嬰に関する馬脚を現したのは別に驚くべき事ではない。だが、それを他山の石として私たちが何かを学ぶべきであるとしたら、個別の現象を全て自己責任に基づく合理的意思決定であると古典主義経済学の主体のごとき短慮に基づく即断をするのではなく、個人の意志過程にどれほどまでに社会的・経済的関係が介入しているのか、そしてそこでの個人は素朴な主体では最早あり得ないのだということを、静かに見据える真に現実主義的な眼差しが必要なのだということであろう。

2016年フランス旅行(3): ホテルの話

2016年フランス旅行

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宿泊したのは東駅近くにあるとあるホテル。留学時に住んでいた19区に比較的近く交通の便が良いこと、そしてグレードの割には安い料金であるため、パリに滞在する時にはほぼ定宿にしている。ただし、北駅にも近いことから夜間の治安がそれほど良い地区ではないので、いわゆる「パリらしい」大通りや景観を期待するとほぼ間違いなく裏切られる。そのため、仏語あるいは英語でのコミュニケーションに不自由しないレベルであれば、このエリアはそれなりにお勧めできるように思う。

なお、ここのホテルを定宿にしているのには経緯がある。

ここのホテルはとある大手チェーンがどうやら居抜きで購入し、新装開店したものらしい。そのため、以前は元のホテルの面影が強く残っており、レセプションからエレベーターまでの動線は分かりにくいし廊下は真っ暗だしカーペットやシャワーはボロいわと、星の割にはかなり悲惨な造作であった。
まあ、料金が安いので仕方ないかな~とか思いつつ、一応ホテルの感想メッセージにはその旨改善を期待するよと書いたのだが、直後ホテルの支配人からメールが届き、複数回の、そして長期にわたる色々なやりとりが続き、支配人氏は小生の要望をある程度容れてくれると約束してくれた。そして次の滞在時には、廊下も明るい照明に取り替えられ、シャワーなども新品に交換されていた。恐らくは支配人氏が小生にコンタクトしてきた段階で翌年度の改装予算は計上されていたのだとは思うが、それでもこちらの要望が反映されていると感じるのは嬉しいものだ。
そして以来、私が到着する時には都度FUP会員としてのウェルカムドリンクは付けてくれると同時に、簡単なスナック菓子をおまけに付けてくれるようになった。通常、大手ホテルチェーンの画一的なサービスではこのようなことは滅多にないものなのだが、支配人氏がチェックイン時に「ああ、また来てくれたか」と出迎えてくれるホスピタリティは、特に私が滞在する程度の格付けのホテルであっても、まんざら悪いものではないと思う。

そして晩ご飯はホテル隣のトルコ料理屋で軽く済ます。習いたてのトルコ語で店の主に話しかけると、一瞬戸惑ったような表情の後に「お前何者だ」的歓迎を受ける。事実、パリ市東~北東部には比較的トルコ人の店が多く、彼らはケバブなどを商っており、セットメニューの価格も7ユーロ程度と安い。いわゆるフレンチのランチが飲み物別で大体13ユーロ程度、なおかつボリュームも結構あることを考えると、たまにはケバブ屋でサンドイッチを買ってその辺の公園や広場でぱくつくのも悪くはないと思う。パリのケバブは日本と違ってラム肉の使用比率が高いのもお勧めできるもう一つの理由である。ラムの臭いが苦手な人もいるとは思うが……